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白石晃士『オカルト』

206日前にメモしたままほったらかしにされていたもの。

オカルト [DVD]

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 ローマ帝国で最初にキリスト教徒になったコンスタンティヌス帝のお母さんは、いろいろなものが見える方で、エルサレムへ旅して「ここにキリストが見えるわ。ここでキリストが苦しんだのだわ」と言いはじめた。「見える見える」って言って、とうとう伝記を全部、実際の地理と合わせてしまった。だから、その女性の脳に見えた重層構造が、エルサレムの構造になっちゃった。本当は、ゴルゴダの丘がどこだって言っても本当のところはわかんないです。記録がないんだもん。だけど今は、その女性のおかげでゴルゴダの丘を見ることができる。http://studiovoice.jp/?p=%2030339 

白石晃士『オカルト』全編にわたって話題となる「運命」「自分以外の何かによってもたらされた予知」。それらを受け取る「選ばれた人間・使命」を映すカメラ。自分の目にしたものを自分の世界観でつなぐこと、見間違い、映像、念写、呪いのビデオ(『リング』)。逆に言えば、撮影したものが自分の運命か。

始まってしばらくのシーンでは、ひとつの事件を対象に、さまざまな人物が、さまざまな時間を介する。この時点では、事件にまつわる霊的事柄は、いくつもの視点の結びつきによって浮かび上がるものとしての側面を強く持っている。

それがしだいに、事件を起こした男と事件で助かった男の世界観に回収されはじめる。傷を神からのものだと考えること、自分には使命があると考えること。そしてそこに、監督自身も加わっていく。撮影することが運命なのか、運命だから撮影するのか。

UFOと幽霊と地獄を束ねるような、土地に根付く神話としての「ヒルコ」。日本神話。不具であったためにないものとされた神の子。神の可能性。今の神とは違う神の統治する世界。別の世界観。カメラに映るはずのないもの、という考え方自体が、ひとつの安定的な神を前提にしている。

カメラに幽霊が映る世界にはまた別の神が要請され、その神の言葉は、新しい言語で構築されている。それを、自分のものであると認識し、因果関係を作り上げていく。大量殺人のような映しちゃまずいものを映すこと、それが認識機能そのものの拡大を目指すことにつながる。そうして映されるむこう側。

これは非常に、擬似私小説的なものの持つ性質と似通ってくる(当たり前か)。単に地獄を映す・書くとは話が違う。それを映すカメラを作るための過程。人間がカメラの製作に必要な材料となる。歴史(物語)が過剰に連なっていき、脳が変わる。子孫。どこにいく?

ひとまずここでは行く先はあまり問題とされていなかったように思う。