「Malformed Objects − 無数の異なる身体のためのブリコラージュ」に関する指示書拡張

いま山本現代で開催されている展覧会「Malformed Objects − 無数の異なる身体のためのブリコラージュ」(2017年1月21日(土)〜2月25日(土) http://www.yamamotogendai.org/japanese/exhibitions)内、三野新ワークショップ「わたしであって、わたしでない観客の上演を実験する」で課題として作成した指示書です。赤字は、展覧会場で配布されているもともとの指示書。それを拡張するものとして以下があります。

指示書に従う者として飴屋法水さんが、指示書を読み上げる者として三野新さんが、それぞれ位置づけられた演劇的空間が考えられていました。「出演者は、飴屋法水さん一人とします」「出演者は、戯曲は話さない」「観客の注意や意識など、本来見えない(共有できない)ものと、動作の間が見せられるような演出にします」といったルールもありました。これらの下で、もともとあった指示書を最大限考慮に入れつつ、各自、1500字前後の上演台本を書く。そして、ワークショップ参加者のそれぞれの台本をひとつにまとめ、全体としての台本を作るというものでした。展覧会の終了にともない使用可能性も激減するだろうので、公開しておきます。

 

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メインルームに入ると、左手にあるテキストを読む。

 

⑤と⑥の作品と「制作者」として関係する。それぞれの作品のテキストを読む。

 

読み終わったら、階段を登り、⑤をもう一度見る。のぼりつつ、姿勢を低くして、画面のなかの、傾いた窓を、真下の道路からまっすぐ見上げているような視線を作ろうとしてみる。

 

しばらくすると画面のなかのカーテンから、手が、出てくる、あるいはもうすでに出てきている。その手の、カーテンから出てきては去り、という一連の動きを見るまで、じっと画面を見つめ続ける。手の動きをなるべく覚えてみようとする。ひととおり見たら、振り返り、⑥のなかの手を見つめる。

 

⑤と⑥の間で視線を往復させる。⑥のなかの手と、⑤の映像の中の手を、それぞれ同じものとして考えられるか試す。そのとき、自分の手を、道具として使うようにする。ゆっくりと手を挙げ、⑤と⑥のそれぞれの手の真似をし、すべてが同じひとつの手であるように考えてみる。

 

虚構について考える。指示書の声が聞こえてくる場所を探して、空間全体を一望する。

 

そして、再度⑥を眺めながら階段を下り、各々にとって⑥との適切な距離を探る。でも、距離ってなんだろう。⑥のなかに、いろんな視点が埋め込まれているのを見つける。さっき、いま。あちらにあるもの、こちらにあるもの。たくさん、少ない。あっちから見える、こっちから見える。

 

見つけた視点をひとりの私が担えるように、すばやく反復横跳びをしてみる。しゃがんだり、飛び跳ねたりしてみる。そうしながら、距離についてまた考える。

 

疲れたら、飛び跳ねるのをやめて、落ち着きながら、ここに来るときに乗ってきた、エレベーターの中での時間を思い出す。今も自分が、箱に乗って、どこかへ向かっていると考えてみる。慣れてきたら、エレベーターのなかで、さっき、なにを考えていたのかを、思い出してみる。

 

振り返り、⑤の、階段の上の映像をもう一度見る。画面の中の窓、カーテンを、⑥の作品の1つとして見てみる。⑤のなかに手を見つけたら、その手の動きを意識しながら、自分の手も視界に入れ、手と手の間の距離を、覚える。

 

また、階段を上ったり下りたりしはじめる。そうしながら、さっきそうしていた自分を思い出す。思い出すための道具として、⑤の画面から聞こえる音を、使ってみる。

 

目を閉じる。もういちど声の主を探すけれど、今度は目は使わず、耳と、感覚だけで、探す。いま、こうして指示を読み上げている人も、むかし、この階段を上り、⑤や⑥の前で、自分の手を見たと、考えてみる。そのときあったかもしれない、目と手の間の距離を、自分が今日、これまで感じてきたいろいろな距離で、測ってみる。

 

いくつかの距離は、ぴたりとは一致しないけれど、ぼんやり重なるくらいまでは、自分の手と、記憶を動かしながら、思考錯誤してみる。

 

ふと、トランプ大統領の声が、さっきから聞こえていたことを意識する。どこの国の大統領だったかを、思い出してみる。それが、自分のいる場所と同じなのか、違うのか、さっき⑥のまえで飛び跳ねていたときの動きを使うようにして、考えてみる。

 

目を開く。の階段を、一番上までのぼり、あたりを見回して、⑦を探す。見つけたら、⑦と「制作者」として関係する。テキストを読む。眼を傷めないよう薄目で眺めるなど対策をとりながら、この作品が成立している条件、あるいはこの作品をインストールする際の状況について考える。

 

⑦の画面を見つめる。そのなかに映っている人たちを、みんな、ずっと昔の人だと考える。階段を揺らしてみる。下にいてこっちを見ている人たちがいたら、彼らを、自分とは別の国の人たちだと考えてみる。そこに、さっき下を歩いていた自分もいると、考えてみる。

 

自分の手を見る。指示書の声にしたがったことを、すごく後悔する。

 

空中に、ザーザーとしたうるさい音や、話す声、温度などが浮かんでいる。それを、そっと手でつまんでみる。つまんだまま、階段をゆっくり降りて、⑧を探す。

 

⑧と「制作者」として関係する。手でつまんでいたものを、そっとあたりの空間、時間のなかへ手放し、辺りぜんたいへとそれが馴染んだと思ったら、⑧を、様々な角度、距離からじっくりと眺める。壺の中を覗き込み、そのなかに、自分の手を差し込む想像をしてみる。

 

⑧を見つめながら、そのまわりを三周する。たくさんの国の人、お肉、そして顔がある。肉は、自分の体のなかにあるものを顕微鏡で覗いているような気分で、見つめる。

 

立ち止まり、テキストを読む。読み終わったら、またじっくりと作品を眺める。「見ること」の時間を味わい、イメージを愉しむ。でも、イメージってなんだろう、と考えてみる。⑧を見つめ、⑦の音を聞きながら、たくさんの国のことを思い出す。音が聞こえる方角を意識する。

 

⑧に埋め込まれた顔のなかから1つを選び、⑧全体に感じた印象を、ぐっとその1つの顔に埋め込むような気持ちで、その顔を見る。

 

⑧の顔へ向かって手を伸ばし、触れない程度に、その顔を手ですくい上げるような身振りをしてみる。

 

手を、自分の顔にあてる。そのまま、次にどういう指示がくるのかを、思い出そうとしてみる。思い出せたら⑨を探す。思い出せなかったら、何度かジャンプした上で、耳をすます。

 

メインルームに入ると、左手にあるテキストを読む。