何かのパーティが行われてる。テレビ中継までされてる。ぼくの小学校の裏には、川を挟んで山があり、その山の斜面はぼくが7歳くらいだったころに大雨で土砂崩れになって大変だった。それを修繕した場所にいつのまにか大きなパーティ会場みたいな建物が建っていたらしく、いま目の細い山道を歩くと、騒がしく準備をしている。持ってるポータブルテレビで中継を見てみる。夜の小学校の中庭に子どもたちが集まって、テレビの人にプレゼントを打ち上げてもらって、みんなでそれを追いかけて拾い集めようとしてる。すごく懐かしい。仲間に入れてほしい、と思ってぼくもパーティ会場に入ると知ってる顔がいくつもいる。ぶらぶらとついていくと、パーティで行われる何かの審査会のようなもののために、高校生が世界中から集まっている。高校生クイズみたいな感じかもしれない。新しい言語を作って話そうとしてる外国人の女の子たちがいる。アンガールズのおふたりがなにかを尋ねてくる。よくわからないからよくわからないと答える。壁に挟まるのが得意な外国の男の子が綺麗に壁に挟まっている。そうだ、もう行かないと。パーティはまだ始まっていないけれど、テレビの中継は今でもすごくやっている。なんのパーティだろう。政治で有名な人が階段に座ってネットで配信するための動画を撮っている。入り口近くに置いてある巨大な花束の塊の上の方に「〜詩〜おめでとう!」みたいに書いてある。プレゼント置き場の奥にあるすごく大きな液晶画面では、猫のような形の手足のないおばあさんが詩を書いている。すごく人気らしい。寝たきりのおばあさんたちがその人の詩集をお腹に巻いて喜んでいる。バイクやろうたちにも人気らしい。このパーティ会場は出口が急な坂になっているのだけれど、カメラは猫の形のおばあさんの目線になっている。「ばあさん、俺たちと同じ音じゃねえか!」とバイクやろうたちが笑ってるのは、板の上に乗ったおばあさんが坂をがたがたと降る音がバイクに似ているからだ。おばあさんは坂をおり切ると、板からもおり、きゃべつ畑に着地して、うねうね動きながら地面に生えてるきゃべつをむしゃむしゃたいらげる。

新聞

(*むかしの新聞から手なおしして再録
 
 
 ぼくの家のテレビの上には、半年まえから二匹の恐竜がいる。ステゴサウルスとトリケラトプス。でもそれは、骨になった化石の模型だ。人は恐竜を骨から知った。恐竜たちは死んだ仲間から骨を見つけた。
 ぼくらは骨から、生きもののかたちや温度、生きていた時間までをも想像せずにはいられない。❶サイモン・ウィンチェスター 『スカル アラン・ダドリーの驚くべき頭骨コレクション』に収められているのは、三〇〇をこえる頭骨の写真たちだ。
 ペンギンにトドにナマケモノ――頭骨の歴史は、ぼくらがこの星に生まれてからずっと、骨に取り憑かれつづけてきたことを教えてくれる。ゾウの頭骨を見つけた昔の人は、骨のまんなかにぽっかりとあいた穴を見て(鼻だ)、そこにぴったりとはまる大きな目玉を想像した。こうして世界には、ひとつ眼の巨人、シクロプスが歩き回ることになった。
 骨と接する生きもののどうしようもなさを、ぼくらは❷柴崎友香『星よりひそかに』にも見つけることができてしまう。この本は、骨とは関係のない恋愛小説なのに。
 あの人は誰のことが好きで、誰があの人のことを好きなんだろう。体のなかから滲んでくるそんな気持ちは、自分のものだけれど、いうことをきかないし、あの人のなかにも、子どもやおじいさんのなかにもある。そのことを生きている限りずっと忘れられない生きものたちの、骨のようなさびしさが、この小説には描かれている。
 わたしもたこみたいに骨なんてなかったらよかったのに! そんなとき、❸ランバロス・ジャー『水の生きもの』のなかにいる、不思議なたこを見ればいい。
 この絵本は一冊一冊がインドで手作りされていて、手触りもにおいも、ここにだけそっと閉じ込められている。夜中にふと目がさめた子どもが、薄い箱に入れられた絵本を取り出すと、ページのなかのたこが、色や線やかたちやにおいとぜんぶごちゃまぜになって、子どもの目から耳からあふれ出す。世界は水でいっぱいになる。
 そんなふうにいのちを感じさせてくれる絵と、たとえば恐竜学者にとっての骨が、すごく似ていると思うぼくらがいる。猫や人のなかにだけじゃなくて、絵や言葉や気持ちにも、骨のようなところがあるって考えれば、いのちを見つけろとせっついてくる骨として、みんな「生きもの」になれる希望はある。

 

スカル  アラン・ダドリーの驚くべき頭骨コレクション

スカル アラン・ダドリーの驚くべき頭骨コレクション

 

 

 

 

星よりひそかに

星よりひそかに

 

 

 

 

水の生きもの

水の生きもの

 

 

 

ヴァルター・ベンヤミン「歴史の概念について」

しばらく前に、このブログでベンヤミン「歴史の概念について」について、大江健三郎さんの思想と絡めつつ書いたけれど、読み返すと弱いところが目につく。

ベンヤミンの歴史と大江健三郎の宇宙船 - describe,

いま、大江健三郎さんの、特に後期の作品における思想と技術についての文章を準備していて(それはもう、昨年の1年間を費やしたから、ものとしてはできてる。書き終わってもずっと書き直してるくらい、つきっきりでやってるから、小説を書けてないというか、それが小説になってる)、その一環としてベンヤミンについて自分で自分のために整理したものを、以下に残します。たぶん随時、更新されるでしょう。

 

 

 

 

ベンヤミン・コレクション〈1〉近代の意味 (ちくま学芸文庫)

ベンヤミン・コレクション〈1〉近代の意味 (ちくま学芸文庫)

 

 

 

 

 

 

・ふたつの立場

ベンヤミンは、このテクストで、歴史主義と進歩史観というふたつの「歴史の概念」を、克服すべき対象として据えることで、両者が前提としている線的な歴史観を打ち破り、過去を解き放ちうる新たな「歴史の概念」を打ち立てることを目論んでいる。

①歴史主義

出来事を因果的に連鎖するものとして捉え(補遺A)、「〈実際にあった通りに〉」(ⅤⅠ)記述することによって、客観的に歴史を認識することが可能であるとする立場。歴史実証主義。「ある時代を追体験しようとするときは、その後の歴史過程について知っていることをすべて頭から払い落としておくように」(ⅤⅡ)。だが、あらゆることを平等に語ろうとする試みは、不可避な取捨選択にさらされるなかで、客観を装った主観とならざるをえない(物語り理論)。さらに、装われた客観的記述において取りこぼされるのは、常に被支配者、敗者、失われ忘れ去られた存在なのだから、歴史主義は、その時々の時代の支配者への感情移入、しいてはいま現在の支配者に寄与するような記述で成り立ってしまう(ⅤⅡ)。

進歩史観

劣った過去は理想的な未来へ向かって直線的に発展し続けるはずだ、という考えのもと、歴史をひとつの進歩の系列として見ようとする立場。「歴史が均質で空虚な時間をたどって連続的に進行するという観念」(ⅩⅢ)と不可分であるために、視線は常に進歩の究極地点へと向けられ、進歩に寄与しなかった出来事は容易に忘れさられる。また、目の前で繰り広げられるファシズムの所作を、進歩の歴史における一種の非常事態(例外状態)として捉えてしまうために、ファシズムにチャンスを与えてしまう(ⅤⅡ)。

 

史的唯物論

以上のふたつの「歴史の概念」に対して、ベンヤミンが取る立場は、歴史的唯物論史的唯物論)と呼ばれている。だが、これは一般的に知られているそれからは換骨奪胎されている。一般に知られた史的唯物論は、マルクス主義的歴史観によるものであり(cf.スターリン弁証法唯物論史的唯物論」)、自然における生産に見られるような法則が人間の社会や歴史にも見られるとした上で、歴史を進歩史観のもとで見つめ、その先に無階級社会が達成されると考える。反ファシズム闘争を担う多くの人々が主張した。

ベンヤミンはこの概念を用いながらも、進歩には否定的であろうとする。「階級闘争とは、洗練された精神的なものを実現するのに不可欠な条件である、粗野で物質的なものを獲得するための闘争である。それにもかかわらずこの洗練された精神的なものは、勝利者の手に落ちる戦利品のイメージとは異なるものとして、階級闘争のなかに存している。それらのものは確信として、勇気として、フモールとして、策士の智恵として、不屈として、この闘争のなかに生きており、しかもそれらのものは、遥かな過去の時代にまで遡って作用するのだ。」(ⅠⅤ)「(無階級社会とは)歴史における進歩の最終目標ではなく、しばしば失敗に終わりながらも最後には達成されるところの進歩の中断である」(準備草稿)。獲得されるべき「洗練された精神的なもの」は、階級闘争のただなかにおいて見出され、過去にまで遡って作用する。

では、ベンヤミンの言う史的唯物論とはどのようなものとなるのか。そもそもなぜ、まったく新しい概念の提示ではなく、既存の史的唯物論という概念の定義を更新する道を選んだのか。

 

 

2 

・完全な過去

「さまざまな出来事を、大小の区別をつけることなくひとつひとつ物語る年代記作者は、それによって、かつて生起した出来事は歴史にとってなにひとつ失われたものとはみなされてはならない、という真理を顧慮している。いうまでもなく、救済(解放)された人類にしてはじめて、その過去が完全なかたちで与えられる。ということはつまり、救済(解放)された人類にしてはじめて、みずからの過去の、そのどの瞬間も、呼び出すことができる(引用することができる)ものになっている。」(Ⅲ)

史的唯物論は、 救済された人類によって、あらゆる過去を完全なかたちで呼び出すことを目標とする。それは、ひとつひとつの出来事を集めていくという年代記作者の方法とは異なる。

 

・一人称的記述の不可避性

そもそも私たちは「押しこまれてしまった自分の時代というものに、どこまでも染めあげられている」(Ⅱ)。完全な客観性に到ることはできない。常に主観的に語らざるをえない。

「移行点ではない現在の概念、時間の衡が釣り合って停止に達した現在の概念を、歴史的唯物論者は放棄できない。というのも、この現在の概念こそ、ほかならぬ彼自身が歴史を書きつつある、まさにその現在を定義するものだからだ。」(ⅩⅤⅠ)

史的唯物論が一人称的現在とともにある。だが、それでは歴史主義が陥った、恣意的な歴史記述による無数の忘却という事態と、どう違うのか。

 

・一人称的受動性

「過ぎ去った事柄を歴史的なものとして明確に言表するとは、それを〈実際にあった通りに〉認識することではなく、危機の瞬間にひらめくような想起を捉えることを謂う。歴史的唯物論にとっては、危機の瞬間において歴史的主体に思いがけず立ち現われてくる、そのような過去のイメージを確保することこそが重要なのだ。」(ⅤⅠ)

思いがけず立ち現われてくる過去のイメージを、私は受動的に確保する。ここには、不可避な一人称のなかに見え隠れする受動性という姿がある。

「過去の真のイメージはさっと掠め過ぎてゆく。過去は、それが認識可能となる刹那に一瞬ひらめきもう二度と立ち現われはしない、そうしたイメージとしてしか確保することができない。〔…〕一度逃したらもう二度と取り戻すことのできない過去のイメージとは、自分こそそれを捉えるべき者であることを認識しなかったあらゆる現在とともに、そのつど消え去ろうとしているイメージなのだ。」(Ⅴ)

自分こそそれを捉えるべき者である、と認識しなければすぐに消え去ってしまうイメージと向き合うなかで、人は、能動と受動の混在状態に陥る。今この瞬間の自分が恣意的に選ぶイメージではないが、しかし自分が選ばなければ他の誰も選ばないということも確信される。

 

・メシア的な力

以上のように、ベンヤミンは過去を物語るのでも、客観的に記述しつくそうとするのでもない第三の道として、「過去のイメージ」の確保という考え方を提示する。この考え方は、「メシア的な力」(Ⅱ)という概念に支えられている。

メシアにはふたつの意味がある。①民族がメシアに先導されて世界の中心となる王国を建設するという、政治的終末論。②天変地異によって世界が崩壊し、死者は生き返り、正者ともどもメシアによって最後の審判を受けるという、宇宙論的終末論。ベンヤミンが想定しているのは後者。過去のいっさいを現在において呼びもどす超人的な想起の力。

この力が、人々にもかすかに付与されている。なぜ?

→そうであったかもしれない過去を思い出す力、いま現在に混入しているだろう過去を想像する力を持っているために、「かつて在りし諸世代と私たちの世代とのあいだには、ある秘密の約束が存在していることになる」から。「私たちはこの土地に、期待を担って生きてきているのだ。」(Ⅱ)

誰の期待?

→「過去はある秘められた索引を伴っていて、それは過去に、救済(解放)への道を指示している。」「私たちに先行したどの世代ともひとしく、私たちにもかすかなメシア的な力が付与されており、過去にはこの力の働きを要求する権利があるのだ。この要求を生半可に片付けるわけにはいかない。歴史的唯物論者はそのことをよく心得ている。」(Ⅱ)

史的唯物論にとって、過去は、人以上に主体となる。

「歴史は構成の対象であって、この構成の場を成すのは均質で空虚な時間ではなく、現在時によって満たされた時間である。」(ⅩⅠⅤ)

私の一人称的記述が、歴史に、自らを構成するための場を提供する。場=現在時=メシア的な力。すなわち、史的唯物論の歴史記述は、個々人の思考や行為にとどまらず、歴史の構成、歴史が歴史であることにまで寄与する。むしろ、後者としての役割が前面にある。

 

・産婆的技術

ベンヤミンは、自然支配の進歩に執着し、労働を「自然の搾取」に帰するものとして捉えようとする俗流マルクス主義を批判する。代わりに提示されるのが、フーリエユートピア論。そこでは「労働は、自然を搾取することからははるかに遠く、自然の胎内に可能性としてまどろんでいる創造の子らを自然がこの世へと産みおとす、その産婆役を果たすものなのである。」(ⅩⅠ)

史的唯物論において、労働主体は自然支配の進歩を目指さない。労働は自然の創造可能性を媒介する役割を果たすものとされる。進歩があるとすれば、その産婆的役割をより十全に遂行しているかどうかという、技術的な尺度だろう。

→「歴史のなかで人類が進歩するという観念は、歴史が均質で空虚な時間をたどって連続的に進行するという観念と、切り離すことができない。この歴史進行の観念に対する批判こそが、進歩そのものの観念に対する批判の基盤を形成しなければならない。」(ⅩⅢ)

批判されているのは、あくまで「歴史のなかで」の進歩なのではないか。進歩史観への批判が、進歩の観念そのものへの批判となるとき、新たな進歩は、均質かつ線的な歴史の外でのみなされうる。つまりそれは、人類の線的発展というヴィジョンからも隔てられていなければならない。解放の手続きは、未来よりも過去からこそ力を供給される(ⅩⅡ)。人間たちは、自らの解放ではなく、過去の解放に寄与するための進歩を目指すことで、自らを「救済された人類」へと進歩させる。

 

 

 

 

それでは、史的唯物論者の歴史記述が歴史に提供する現在時は、どのように構築されるのか。

テーゼⅩⅤⅡでは、メシア的な力を持った人間が過去を解放する手続きが描かれている。

「思考するということには、さまざまな思考の運動のみならず、同じようにその停止も含まれる。思考がもろもろの緊張に飽和した状況布置において突然停止するとき、その停止した思考がこの状況にひとつのショックを与え、そのショックによって思考はモナドとして結晶化する。歴史的対象がモナドとなって歴史的唯物論者に向かいあうとき、もっぱらそのときにのみ、彼は歴史的対象に近づく。この構造のなかに彼は出来事のメシア的停止のしるしを、言いかえれば、抑圧された過去を解放しようとする戦いにおける革命的なチャンスのしるしを認識するのだ。」

→思考の停止。それは思考しなくなるということを意味しない。停止とは、歴史を構成する現在の概念に付与される言葉。

注目すべきは、思考のモナド化と歴史的対象のモナド化が、並行しているということ。思考のモナド化は、思考が単に停止するだけではなされない。思考が状況布置にショックを与えたとき、そのショックを発した当の自らがモナドとして結晶化する。

「自分自身の時代が以前のある特定の時代と出会っている状況布置を、彼は把握する。そのようにして彼は現在の概念を、メシア的な時間のかけらが混じりこんでいる〈現在時〉として根拠づけるのである。」(補遺A)

史的唯物論者は、歴史的対象との接近と、歴史的対象のモナド化を、自らの思考のモナド化に不可欠なものとする。思考の停止は、現在と過去の状況布置がなければありえない。換言すれば、人間は過去と触れることで、思考を停止させることができる。

→思考が自ら率先してモナド化して歴史的対象を巻き込むのでも、また、歴史的対象が自分だけでモナド化するわけでもない。人間と過去は、相補的・循環的な関係にある。そしてその上で、歴史は人間に、自らを解放するよう要求する。

 

①人間が自らのなかにあったメシア的な力を使って、過去のある瞬間を、自らの生の「経験」(ⅩⅤⅠ)として、「思いがけず立ち現われてくる〔…〕過去のイメージ」(ⅤⅠ)として想起しようとする。

②想起された過去とそれを想起している現在の自分の結合が、人間の能動性からは離れた必然性の帰結として受け止められる(受動的一人称)。

③人間が「歴史を書きつつある、まさにその現在」(ⅩⅤⅠ)が、歴史を構成する場=現在時となることで、思考がモナド化する。人間は、歴史の構成に身をゆずることで、歴史に接近する。そこでは、人間は自分の知らない過去にまで自らを提供する。

以上、①~③の構造は、「革命的なチャンスのしるし」となる。

 

史的唯物論者は、その「チャンスを認めるや、歴史の均質な経過を打ち砕いて、そのなかから一つの特定の時代を取り出す。同じようにして、彼はこの時代からひとつの特定の生を、そしてこの生のなしたすべての仕事(作品)からひとつの特定の仕事(作品)を取り出す。彼のこの方法の成果は、次の点にある。すなわち、ひとつの仕事(作品)のなかにひとつの生のなした全仕事(全作品)が、この全仕事(全作品)のなかにその時代が、その時代のなかに歴史過程の全体が、保存されており、かつ止揚されているのである。」

→ここで突然、作品‐生‐時代という連鎖が言及される。

「物語作者」(1936)が意識されている?

「物語作者がその素材、すなわち人間の生に対してもっている関係は、それ自体が手仕事的な関係ではないか? 物語作者の課題とは、経験という生の素材を――他人のであれ自分自身のであれ――手堅く、有益で、一回限りのやり方で加工すること、まさにこのことにあるのではないのか?」

「彼には、生の全体に立ち返る能力が与えられているのだ。(ついでにいえば、それはたんに自分自身の経験だけでなく、他者の経験をも少なからず包摂している生である。物語作者にとっては、風聞から聞き知ったことも、彼自身の最も固有のものに付け加えられる。)彼の才能とは、自分の生を物語ることができるということであり、彼の尊厳とは、自分の生の全体を物語ることができる、ということである。」

 

物語作者は、経験という、人間の生を素材に、一回限りのやり方で加工する。

史的唯物論者の求める過去のイメージとの類似。「過去の真のイメージはさっと掠め過ぎてゆく。過去は、それが認識可能となる刹那に一瞬ひらめきもう二度と立ち現われはしない、そうしたイメージとしてしか確保することができない。」(Ⅴ)

史的唯物論者が「革命的なチャンスのしるし」をもとに行う作業は、物語作者を媒体として行われるのではないか。そしてそのとき、「みずからの過去の、そのどの瞬間も、呼び出すことができる(引用することができる)」「救済(解放)された人類」(Ⅲ)は、物語作者とおぼろげに重なる。

物語作者が立ち帰ろうとする生の全体のなかに他者の経験も混入しているということと、史的唯物論者が自らとは別の生を、おそらくは自らの経験として一人称的に取り出すことによって、歴史経過の全体を獲得しようとすることも、並行関係にある。

 

さらに、作品‐生‐時代の連鎖に言及した直後には、時間という概念が提示されている。「歴史的に把握されたものという滋養ある果実は、その内部に、貴重な味わいのある、がしかし趣味的な味とは無縁の種子として、時間を孕んでいる。」

「メシア的な時間のモデルとして、全人類の歴史を途方もなく短縮して包括する現在時は、人類の歴史が宇宙全体のなかで見えているその姿と、ぴったり重なる。」(ⅩⅤⅢ)

ベンヤミンが掲げようとしているのは、物語り行為を行う人間たちのさらに上位にある視点、すなわち宇宙大のうごめきの視点ではないか。そこでは物語り行為を行う人間たちも、史的唯物論ともども、新たな内実へと更新されなければならない。

 

「過去はある秘められた索引を伴っていて、それは過去に、救済(解放)への道を指示している。」(Ⅱ)

ここで「秘められた索引」と呼ばれているのは、人類、それも自らのメシア的な力を十全に発揮し、解放された人類へと進歩した物語作者たちだろう。彼らは、歴史が自らの持つ創造の力を「この世へ産みおとす、その産婆役を果たす」。史的唯物論者は率先して物語作者たちを記述しようとする。そこには、解放された人間同士の連鎖がある。彼は、他人の生の経験をも「思いがけず立ち現われてくる〔…〕過去のイメージ」として確保することができる。

→メシアそのものになることは人間にはできないが、しかし、過去に自らを提供することによって、進歩した「解放された人類」となり、自分たちの持つ「かすかなメシア的な力」を、どこまでも続く連鎖のなかで累乗的に増やしていくことで、過去からの要求に応えようとすることはできる。そのとき根本にあるのは、物語作者という存在への進歩が、あらゆる時代において進められていると信じること。私とは別の時代に生きる他者への信頼。

 

「最も私的なことでさえ公的に起こるところでは、公的な事態もまた私的に立ち現われ、それによりこの公的な事態は、隠喩的ー道徳的な責任とはまったく異なる形而下的ー政治的な責任を浮上させる。私的個人が自分の公的な行為の責任を負うのは、この私的個人が、自分のどの公的な行為においても、全面的にその場にいるからである。革命はつねにこのような責任を(それよりもさらに厳しい責任を、ということはないにしても)確立する」(「W・I・レーニン『マクシム・ゴーリキー宛ての書簡1908-1913年』書評」より)

 

ベンヤミンがこのテクストで示そうとしているのは、以上のような質を持った責任と希望の存在であり、並行して進められたパサージュ・プロジェクトもまた、「解放された人類」としての新たな物語作者たちが持つべき技術を探り、提示することを目的としていたのではないか。ベンヤミンが、自らの手仕事のなかにメシア的停止のしるしを見出したとき、彼にとってあらゆる時代の他者が、メシア的停止のしるしを持ちうる。その可能性が信じられる。

 

 

大江健三郎が『憂い顔の童子』において、ベンヤミンのテクストに触れながら「私による私の救助」を語り、新しい人へと目ざめようとするときに、確立される小説家像も、やはり上記のような人類の姿だろう。)

 

 

使用翻訳テキスト

「歴史の概念について」浅井健二郎訳、『ベンヤミン・コレクション1』、ちくま学芸文庫、1995年。

「物語作者」三宅晶子訳、『ベンヤミン・コレクション2』、ちくま学芸文庫、1996年。

「W・I・レーニン『マクシム・ゴーリキー宛ての書簡1908-1913年』書評」浅井健次郎訳、『ベンヤミン・コレクション7』、2014年。

 

参考文献

今村仁司ベンヤミン「歴史哲学テーゼ」精読』岩波現代文庫、2000年。

ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論』全5巻、今村仁司三島憲一訳、岩波現代文庫、2003年。

大江健三郎『憂い顔の童子』講談社、2002年。

鹿島徹ベンヤミン「歴史の概念について」再読: 新全集版に基づいて(1)」『早稲田大学大学院文学研究科紀要』、2012年。

鹿島徹ベンヤミン「歴史の概念について」再読: 新全集版に基づいて(2)」『早稲田大学大学院文学研究科紀要』、2013年。

鹿島徹ベンヤミン「歴史の概念について」再読: 新全集版に基づいて(3)」『哲学世界』、早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻、2013年。

鹿島徹『可能性としての歴史―越境する物語り理論』岩波書店、2006年。

わかってきたことの少し

現代思想 2014年1月号 特集=現代思想の転回2014 ポスト・ポスト構造主義へ

現代思想 2014年1月号 特集=現代思想の転回2014 ポスト・ポスト構造主義へ

グレアム・ハーマン「代替因果について」を今さらだけれど読んで、びっくりした。
大江健三郎がやってることとと異様にリンクしてる。擬似私小説的手法は、それこそ感覚的対象と実在的対象をいかに交流させ続けるか、に依っている。小説は、そこから「私の制作・発達」の方に行くわけだけど。
感覚的対象がなぜか統一性を持ってしまうことは、物を作るうえで相当に大きな問題になってくる。ハーマンがこの問題について語るときにメタファーを出してるのはすごく大きくて難しい問題……
《事物とその性質との分離は、もはや人間経験のローカルな現象ではなく、むしろ因果関係も含めた実在的対象間のあらゆる関係の根幹なのだ》っていうのを、どうするか。言葉による思考と、人間による思考の、あいだに、動物や植物や地形や抽象概念も加えてやるために、語り手の認知を教育する必要がある。
たとえば……
ぼくはえびが好きだ と えびはぼくが好きだ
どうして両方とも語り手が「ぼく」であるように思うのか?
ひとつの語に複数の読み方がありうるということと、その読みの方向性が語り手というメディウムで生成可能であること、さらにその生成が、特有の傾向を持っていること。
語り手の生成が、人物名を中心に行われやすいということを逆手に取ると、人物同士の比喩的な接合が、語り手の認知に影響を与えることもありうる。『憂い顔の童子』で、古義人=コギー兄さんは、「ギー兄さん」に言葉の位相で接続され、行為や語りすらも接続させられる。これが大江的転生のひとつ。
そして、言葉のレベルでの操作と、語り手の操作が、読み書きする私の知覚的統合と連動することで、思考はひたすらに続くようになる(もしくは一瞬で停止する)。私小説私小説でありうるのは、書き手がひとつの統一性をもった対象として知覚されるとき。
書きはじめと書き終わりが同じ人間だと認識されること、生まれた瞬間の私と死ぬ直前の私が同じ一人の私として認識されること。これを、美の問題として考えることはもちろんありうるし、進化論をねじ込むこともありうるかもしれない、とぼんやり思う。ともあれ小説は人間だけのものじゃない。
おもしろいのは、大江健三郎が、抽象的概念を指す言葉が書き手の肉体を介した文体(声、と呼ばれる)によって具象化するとき、それを異化と呼んでいること。そして異化は、小説の根本であり、小説の本質をその制作行為の追体験にこそ置く理由のひとつになる。
こうなってくると、小説は、ひとつの、生に関わる教育としての側面を見せはじめる。もしくは、世界が存在することの実証そのもの。

先生

 ランドセルの内側にある宇宙は、冬の中ごろになれば澄んだすみれ色で染まるだろう。その季節じゅう、ぼくは公園で、縄跳びのできる女の子とジャンプをしていた。
 車が公園の前の道路を走ってくるたびに、それとぼくたちの体が交わらないよう、高くまっすぐジャンプをする。ジャンプをするたびに笑ってしまう。ぼくたちは両足を揃えてとべたためしがない。
 冬になれば、誰しもみんな縄跳びの練習をさせられる。校庭で縄跳びをみんなでいっせいにすると、ぼくはくまのようだとみんなから好かれた。一年後にはドッジボールでじゃまものになって、お前はまじめじゃないと言われ、ひとりで校舎の隅に隠れた。
 保健室のとなりにある階段の裏側、中庭で新芽に満ちた木々と四年生の人たちが育てていた朝顔の植木鉢が、日光を反射するガラス越しに、何重にも折り重なって見える場所。ぼくのそばには、掃除用具入れがあって、日差しに当たっていた。ぼくはしゃがんでいて日差しに当たっていない。ほとんど泣いてなかったと思う。学校中の先生がぼくを探していた。
 どんな先生にもぼくは迷惑をかけていたようだ。学校だけじゃなくて習字を教えてくれていた先生にだって、癇癪を起こしていた。先生が悪いんじゃない。ぼくの体が、ぼくの思い通りに字を書けなくて、それがいらだったから。たった数行の文字にぼくは何百枚も紙を使って、あたりを紙くずだらけにした。お母さんが迎えに来てあやまっていた。先生が教室を開いていた先生の家の奥にはピアノが置かれていた。
 ぼくは、高速道路を走るお父さんの車の後部座席に座り、あまりに静かな階段裏で見た日差しの角度や、聞こえていたかどうかは不確かだけれど風の音、習字で思うようにいかなかったときの背骨のこわばりの感覚や、数学ができても体育ができなかったら怪我をするじゃないかという理由で休み時間に教室の窓から飛び降りようとして、大学を卒業したばかりの先生を泣かせてしまったときのことを思い出しながら、生まれてはじめての小説を書いていた。
 先生は一年でどこかべつの学校に転勤させられた。ぼくはお別れの日に、そのころ学びはじめていたパソコンのメールアドレスを手渡して、メールをしようと先生に言った。それから一度もメールをしていない。いまのぼくは大学を卒業するころだからあのときの先生とほとんど同じ歳だ。小学四年生なんてちっぽけだ。先生はぼくが嫌いだっただろうか。ぼくは絶交が多すぎる。
 夏休み明けに好きな友達と廊下ですれ違っても、恥ずかしくて不安で声がかけられなくて、そのまま絶交する。もう一生話さない。そのまま忘れない。むかしの携帯電話に、学校の帰りの駅で撮った映像が残っていて、夕陽のなかのその友達が話しているところを、いまのぼくにも見ることができた。これ以外は見られない。
 小学生のころに遊んでいた友達と誰ひとり遊ばない。百年会っていなくてもおととい会ったばかりのように、なかよく話せる人が世の中にはたくさんいる。