先生

 ランドセルの内側にある宇宙は、冬の中ごろになれば澄んだすみれ色で染まるだろう。その季節じゅう、ぼくは公園で、縄跳びのできる女の子とジャンプをしていた。
 車が公園の前の道路を走ってくるたびに、それとぼくたちの体が交わらないよう、高くまっすぐジャンプをする。ジャンプをするたびに笑ってしまう。ぼくたちは両足を揃えてとべたためしがない。
 冬になれば、誰しもみんな縄跳びの練習をさせられる。校庭で縄跳びをみんなでいっせいにすると、ぼくはくまのようだとみんなから好かれた。一年後にはドッジボールでじゃまものになって、お前はまじめじゃないと言われ、ひとりで校舎の隅に隠れた。
 保健室のとなりにある階段の裏側、中庭で新芽に満ちた木々と四年生の人たちが育てていた朝顔の植木鉢が、日光を反射するガラス越しに、何重にも折り重なって見える場所。ぼくのそばには、掃除用具入れがあって、日差しに当たっていた。ぼくはしゃがんでいて日差しに当たっていない。ほとんど泣いてなかったと思う。学校中の先生がぼくを探していた。
 どんな先生にもぼくは迷惑をかけていたようだ。学校だけじゃなくて習字を教えてくれていた先生にだって、癇癪を起こしていた。先生が悪いんじゃない。ぼくの体が、ぼくの思い通りに字を書けなくて、それがいらだったから。たった数行の文字にぼくは何百枚も紙を使って、あたりを紙くずだらけにした。お母さんが迎えに来てあやまっていた。先生が教室を開いていた先生の家の奥にはピアノが置かれていた。
 ぼくは、高速道路を走るお父さんの車の後部座席に座り、あまりに静かな階段裏で見た日差しの角度や、聞こえていたかどうかは不確かだけれど風の音、習字で思うようにいかなかったときの背骨のこわばりの感覚や、数学ができても体育ができなかったら怪我をするじゃないかという理由で休み時間に教室の窓から飛び降りようとして、大学を卒業したばかりの先生を泣かせてしまったときのことを思い出しながら、生まれてはじめての小説を書いていた。
 先生は一年でどこかべつの学校に転勤させられた。ぼくはお別れの日に、そのころ学びはじめていたパソコンのメールアドレスを手渡して、メールをしようと先生に言った。それから一度もメールをしていない。いまのぼくは大学を卒業するころだからあのときの先生とほとんど同じ歳だ。小学四年生なんてちっぽけだ。先生はぼくが嫌いだっただろうか。ぼくは絶交が多すぎる。
 夏休み明けに好きな友達と廊下ですれ違っても、恥ずかしくて不安で声がかけられなくて、そのまま絶交する。もう一生話さない。そのまま忘れない。むかしの携帯電話に、学校の帰りの駅で撮った映像が残っていて、夕陽のなかのその友達が話しているところを、いまのぼくにも見ることができた。これ以外は見られない。
 小学生のころに遊んでいた友達と誰ひとり遊ばない。百年会っていなくてもおととい会ったばかりのように、なかよく話せる人が世の中にはたくさんいる。