2013-09-21
今日は朝から神輿の音がした。外を見てみると、子どもたちがちょうど通りかかって、何メートルもある紐を抱え、連なっていた。後ろのほうから大人が「おーい、とまれ!とまれって!」と叫び、子どもたちが紐をおろす。しばらくして、白いワゴン車が紐の横をゆっくりと通っていく。神輿は見なかった、昨日の公園には祭りの準備らしきものが組み立てられていて、母親と子どもが通りかかったときに母親が子どもに「ほら、神輿があるよ」といったけれど、夜だったからかぼくには神輿は見えなかった。
磯崎憲一郎さんの小説をいくつも同時に拾い読みしながら、『アメリカ先住民の神話伝説』という本を読んでいた。
- 作者: リチャードアードス,アルフォンソオルティス,Richard Erdoes,Alfonso Ortiz,松浦俊輔,岡崎晴美,西脇和子
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 1997/04
- メディア: 単行本
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「〈偉大な未知の力〉であり、〈祖父の力〉でもある〈そうとは知らず〉は太陽の一部で、逆に太陽は〈そうとは知らず〉の一部だった。〈そうとは知らず〉は見れども見えず、いくつもの姿をもっていた。彼は言った。「よおし、よし。さあ、できた。〈偉大な精霊〉の〈偉大な方法〉がよく機能している」。そして、地球についてこう言った。「これは私の席にしよう。私の背もたれにしよう」。彼は地球に生命の種を植えたが、この植えつけに創造期の五十万世がかかった。」太陽の創造
言葉が抽象的なものを名づけ、具体として生きさせる。ならばぼくは死んだものにも名付けられるだろうか、無くしたえんぴつに名付けられるだろうか?
わたしが知っていないことまで書けてしまうことがいかにすばらしいことかというのはもうすでに書きつくしたから言わない、わたしが知らないことをわたしが思い出せることにはわたしが知らないことを書くよりも大きなものがある。
半年と少し前に書いた小説ですべてを出しつくしたとおもっていたから次を書けるかどうかがわからなかったから大変な半年と少しだったけれど、いまになってようやく「このままなら生きていける」というものが触れてくる。こちらから触りに行ったのではない。
ぼくについて語るのをやめるのではなくぼくの広がりを肯定否定ともに語ることをしたいと、そう思うなかで磯崎憲一郎さんの書いた小説群は大きなものとして受け止められる。それは想像しうる限り最大の認知能力を自分に課せるものとしての言葉の運用方法だと思う。カブトムシについたダニをとるためにカブトムシを日にさらしたり水で洗ったりするような力で世界を見るとその情報量に圧倒される。
確かに半年と少し前、これが書き終わるのかわからないと思っていたときにぼくは電車に乗っても外の風景に圧し潰されそうになってうれしくなっていただろう、けれどその感覚はそれだけではうまくいかず、さらに横幅を大きく保てるようになるためにも一度文体を大きく変えてみる必要があったために3ヶ月ほど前まで短いものを書いていた、そしてそこからぐるりと回ってきた今になってようやく、前提のものがなくても最善の体で書けるようになってきている気がする。すなわち世界がどうなっているか、を考えるために必要な手立てをまた持ち始めた、それはとても興奮する。なにを読んでも興奮する。また書きたくなってiPhoneをとるから本が読み進められない。どこへ出かけてもそれをはるか昔とはるか未来に結びつけられるならなるべく出かけるべきだ。淡々と並べるようにそれをあとから思い出して。
水爆が落ちても爆発しなかった、というのを今になって知らされるのは、まるで前世の自分の人生を語り聞かされているようだ。
— (∵`)<山本浩貴+h (@hiroki_yamamoto) 2013, 9月 21
それはつまりあまりに細かく時間を計れるようになりすぎたことで机の上と下のそれぞれで流れるようになる時間が違うことがわかってしまったことを真摯に受け止めながらそれを最大限増幅して生きてしまうことだ、死と宇宙人をその延長にとらえてしまいそうになることだ。
と、そこまで書いたところで
を読んだ。
『未明の闘争』ですごいのは今のわたしという位置をもうどこにも見つけられなくなることだ、さらにすごいのは書くなかで生きるということをどこまでも徹底する文体を持ったことだ、と言っても「それなら他にも有名な小説がある」とかと言われて否定されたままに終わる文章しか書けていないけれど、どこに人生のこの肉体の時間を費やすか?という指針になったのは間違いなかった。最初に読みはじめたのは2年と少し前で、そのころはそれまで書いていた文章の感覚から抜けだそうとしても抜け出せないまま死んでしまいそうな頃だった、あれは世界への接近と身近な時間を接続する生き方をうまく見つけられていなかった。これを20歳になる前となった後の境目に読み、20歳になるちょうどそのころに『カフカ式練習帳』を読んでいたことが、とても大事だ。本当はもうひとつ大事なことがあるから今のぼくがうまく生きられているのだけれどそれは少し先の時間に書くことだろう。
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近ごろはひとつの小説が一人でない人数で書かれることを前提に書くことで生きる時間のあり方を考えている。ぼくが複数になるし個人でもあるし相手が複数でもあるし個人でもある時間の流れがまた小説になっているのはどんな魂のかたちの数式だろう?