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2013-10-03

お父さんスイッチ「か」
かたみの狭い化石ほり

お父さんスイッチ「き」
きりんの首についた火薬を見た

お父さんスイッチ「く」
くらしあんぜん足がない

お父さんスイッチ「け」
毛のない犬の夢を見る

お父さんスイッチ「こ」
交換留学生が家に多すぎる


風景によって内面を書くことが重要であるという言説と柴崎友香の「チアガールはうれしかった」的描写とホラー映画。遠近法の焦点を規定する「わたし」がわたしからこぼれるというより世界の風景がはるかにひろがる、つまりわたしと世界の境界ではなく「世界+わたし」が広がる。魂が広がりすぎる。
ここで、単に「〜はうれしかった」を書けばいいのか?というと、ふつうに使うとマイナスの意味での拘束に世界を当てはめるだけになる。「うれしかった」などのその感情それ自体が述語ではなく主語として見られたことを意識するかどうか?パターンを錯覚する、反復可能である、わたしは複数ある。
神さまの子どもの族としてのあり方。わたしまたは世界の同一性を導き出すものとしての神さまの子どもがぼくに見られるとき、具体としての神さまの子どもと種族としての神さまの子どもがぼくというパターンの反復を通じて、すべての時空間がない交ぜになり、死者の蘇った計算機としての神をどう見るか。
風景描写と心理描写が互いに陥入しあう文体の発達は、「いま世界を書こうとするとひとつの大きな物語ではなくて小さな物語の集まりのように書かれるのではないか」という言説の理由に位置するんじゃないか。
となると歴史認識のあり方も変わるはずだし、ネットやそれこそTwitterとの(ギミック導入でない)把握の仕方もある。