「神さまのところに血のついた矢がもどってきたの、なんじゃこりゃあと思ってよく見たら、自分たちのつかわしたキジの血がついてたのね」

手塚夏子さんのトレースに関するワークショップに参加した際に作成した、10秒ほどの動きと発話の描写です。

http://www.bonus.dance/creation/35/

細かく記述するなかで体の節々のつながりがばらばらになる感じがして居心地が悪くなって呼吸がうまくできなくなっておしっこにいきたくなったこと、とても何気ない発話(言語)と身振りがおそらく本人も知らないだろう細部で連動してしまっているように感じられはじめたこと、その連動を軸にもういちど描写を組み立てることでなにかものまねの「本当らしさ」に近づける気がしたこと、こうした描写は小説においてはどちらかというと風景描写よりも語りの作成に近いだろうこと、とかを、考えました。特に、発話と身振り、身振りと(別の部位の)身振り、の間の連動のありようが、記述すればするほど見えてきてしまうことに、ありふれた話ではあるのだろうけれど、ショックを受けた。

 

 

基本の姿勢

椅子に座る。背もたれに軽くもたれかかるような感じで、終始全身の力が抜け、リラックスしている。ひざとひざのあいだは少しあけ、両足はつまさきで地面と接する。両足が地面と接する位置を、体の軸から見てすこし左にずらす。さらに、ひざを曲げて、椅子の座面をはさむようなかたちにして、両足と地面の接する位置を、あまりつらくない程度に座面の下にまでずらす。その状態で、左足のかかとを右足のつちふまずにくっつける。そのとき左足だけ、つま先だけでなく足指のつけねの部分でも地面で接するようにして、やはり体勢としてつらくないように、体の重心を背中にかける(つま先で体を支えようとしない)。
両手は、ともに、左手は左太ももの、右手は右太ももの、それぞれ付け根を手のひらで包むように、置く。右手は、薬指と小指が離れるかたちで伸び、それぞれ太ももを、指の側面で触っている。小指の方がまっすぐのび、薬指はすこしまがっている。中指と人差し指は、かるく握られている。その握られた人差し指の第二関節の上に、左手の親指がのせられる。右手の中指と人差し指が曲がったスペースに、親指以外の四本が並んでいる。
視線は、正面やや下、曲がった膝よりも15センチほど奥を見ている。
右手前方に、自分の言葉と身振りで説明する相手が、座っているのではなく立っている。今はまだそちらを見ないが、このあとは、たまにそちらを見上げながら、話す。

 

動き
以下、「神さまのところに血のついた矢がもどってきたの、なんじゃこりゃあと思ってよく見たら、自分たちのつかわしたキジの血がついてたのね」
まず、「かみさまのところに」と言いながら、両手ともに、親指の先を、中指の先と人差し指の先のあいだにくっつけ、輪をつくる。そうしてできたふたつの輪を、両手同士の指先でさらにくっつけ、八の字にする。3回ほど、それぞれのゆびさきがこちょこちょと動かされる。
次に「ちのついた」と言いながら、右肘の高さをほとんど動かさずに、ひじを、無理せずまげられるところまでまっすぐ、地面と垂直に手が挙がるようにまげる。「た」のところで、曲げはとまる。このとき、上昇してくる右手は、さっきまでの輪を維持しつつ、親指の先だけが、人差し指の側面、第一関節のあたりにまでずれ、単なる輪っかから、なにか棒のようなものを握っているようなかたちになる。手首はすこしだらんとしている。右手が上昇するとき、視界のなかへ右手が入り込んでくるかたちになる。腹のあたりまで右手があがったとき、右手に視線が紐付けられ、視線はそのまま右手を見つめながら上昇する。右手があがりきったときに、視線もあがりきり、右手の向こう側にいる話し相手の顔に、視線が向かう。左手は、右手に離れられたことで、右手と人差し指と中指の輪も解かれ、親指の先が、人差し指の第二関節、その曲がる内側にそえられる。ここまでが、「ちのついた」。
次に、「やが」と言いながら、右手で、十五センチ下あたりの空中を上からノックするように、手の甲をだらんと落とす。落としながら、頭は左にすこし傾ける。
さらに続けて「もどって」と言いながら、落とした右手をふたたびもとの高さにまであげる。
次に、「きたの」と言いながら、右手は「き」と「た」のタイミングで合計2回、今度はすぐ下あたりの空間を叩く。「き」よりも「た」の方がほんのすこし低い、左側のところを叩く。そして「の」のところで、すこし体の手前へ引きつけながら、軽く握られた手のひらの内側が自分に見えるような角度、つまり親指と人差指のつくる輪を、話している相手にすこし見せるような角度で、止まる。また、左手は、「き」と発音されるタイミングで、左手の人差し指が、すこし伸びて、ゆるくなにかを指差しているようになる。ここまでが、「やがもどってきたの」。
その時点で、1秒黙る。そのあいだ、右手の人差指の、第二関節が、すこし手の甲のほうへ動く。
次に、「なんじゃ」と言いながら、右手は15センチほど上、話している相手の顔と自分の顔のあいだにくるような高さまで持ち上げられるのだが、そのとき手首は、親指と人差指のつくる輪が天井をむくように、少し左回転させられる。右手が上昇するにつれて、頭が、左に傾いていたのをまっすぐにもどされる。右手が上昇しきるのと、頭がまっすぐにもどりきるのが同時。
「こりゃあ」と言いながら、右手にできている輪を、自分の顔の方に向けるよう手首をさらに回転させる。
そして、「と思って」と言いながら、右手は、ストンと右太ももの上に落ちていって、跳ね、ふとももの付け根にそえられたままの左手のそば、左手よりもお腹から離れた膝側に着地する。その瞬間、すこし伸びていた左手の人差し指が、ほんのすこし曲がり、中指など他の指の位置に近づく。でも、親指と人差指が輪を作るところまでは曲がらず、お互いの指先はひらいたまま。かわりに中指の先が、親指の先とくっつき、輪をつくる。中指の先は、親指の腹を、指先から第一関節までさするように、しばらく往復している。このとき、中指だけが曲がり、人差し指は曲がらない。ここまでが、「なんじゃこりゃあと思って」。
次に、「よく見たら」といい始めながら、右手がふたたび持ち上がろうとする。すぐに視線が、立っている相手の顔から離れ、自分の右手に移る。右手は胸のあたりまで上がる。上がりきると同時に、親指の先が人差し指の第二関節側面にまでスライドし、右手にできた輪は消える。視線は親指の爪を見つめ、親指の爪と見つめ合うようになる。
次に右手は、「自分」と言いながら、手の甲が上に来るようにすこしまたひねりながら、みぞおちのあたりの高さ、十五センチほど胴体から離れた空中をたたく。その振り下ろしの反動を受けるように頭はすこし後ろに反り、左手は、中指が親指からはなれて大きく手の甲の側へ引っ張られ、それにつられて親指以外の指もすこしだけひっぱられ、結果として左手の手のひらが軽く開く。
そして「たちの」と言いながら、右手は、ふたたび親指を天に向けるように右回りにひねられつつ、もといたふとももの付け根の位置に着地する。視線も右手を見つめたままなので落ちるが、頭はすこし後ろに反ったまま。右手の着地したその瞬間、左手の手首が内側にまがり、中指を含め親指以外の四本もまた、内側にむけて曲がる。その曲がりにあわせるようにして、あるいは視線に遅れてついていくようにして、頭が手前にかたむき、顔がすこしうつむく。
次に、すぐに左手の手首は曲がった状態をやめ(曲げた反動で跳ね返るように)、「つかわした」といいながら、なにかを飛ばすようなスナップをきかせつつ、手首は伸びる。
さらに、「キジの」と言いながら、左手はすこし親指の爪を天へ向かせるように手首が左回りにひねられつつ、ふとももとふとももの間にできた空間へと左手は投げだされ、手首と太ももがぶつかることでとまる。その衝撃で、親指が人差し指の方へ落ち、人差し指の先と親指の先が、くっつく。このあいだ、右手は人差し指がすこし手の甲の側へ引っ張られるが、親指の先と人差し指の先はまだくっついたままでいる。
左手が、すこし親指と人差指を離しながら、手の甲の側へと手首が曲がり、右手と左手が同じ高さになる。この手首の曲がりにおくれてついていくように、左足のかかとが右足の裏から離れ、つま先も地面から離れる。この瞬間、「ちが」と言いはじめる。
左手の親指の先と人差指の先がふたたびくっつき、右手の親指人差し指の先とさらにくっつき、また8の字ができる。その8の字ができた瞬間にあわせて、左足裏の、親指の付け根にある大きな関節が、右足の親指の上にのる。その瞬間、「ついてたのね」と言いはじめる。左足のかかとが背後の方へ引きつつ、左足の親指が、右足親指を包むように降りる。「ついてたのね」の「ね」を発した瞬間、視線が、話している相手の顔の方を向く。ここまでが、「自分たちのつかわしたキジのちがついてたのね」。
右足親指を包むように降りた左足親指につられて、そのまま左足は右足をはうように右足からずり落ち、かかとだけがあがったまま床に着地する。左足のずり落ちにあわせて、右足は、足の指の腹で地面と接していたのが、左足によってすこし押され、小指と薬指が地面との間で内側に曲がり、右足は指の爪の側で地面と接するようになる。

空間〈内距離〉のモデル

333|いぬのせなか座

 ある身体の行為が、それを取り囲む単一の環境に還元されず、同時にその身体の履歴にもまた安易に還元されない、外部から見ればナイーブな〈自由〉の発露であるように感じられるとき、それをしかし外部から切り離された魂の、身体内部への埋め込みの根拠とはせず、あくまで魂は身体外の環境にこそ埋め込まれている(あるいは内部と外部の結合としてあらわれる)としたいなら、身体の発する〈自由〉な行為(外部環境に還元されないように思える行為)が、別の時空間に位置する別の環境から来るものだと考えることは可能だろう。つまり、ある身体内には、それを直接取り囲むものとは別の環境と接する回路が用意されており、〈自由〉な行為は、その回路を介して生じる複数の環境の掛け合わせとして観察されるものと考えられる。ただ、その際、環境と環境の掛け合わせが行われていることは外部から観測可能だが、そのふたつ(あるいはそれ以上)の環境間の距離は、身体内部に閉じた思考としてあるため、外部からは観察できない(それは相手がおなかに痛みを感じているのかどうかがその身振りからは確定できないのと近い)。
 言語表現における〈語り手〉の把握は、上記の文脈でいえば、テキスト内に〈自由〉=魂を見出すことと言い換えることができる。文ごとに知覚される言語表現主体を束ねるメディウムたる〈語り手〉は、「私」や「彼」や「たろうくん」といったような、比較的言語表現を担いやすいものを指し示す単語を中心に、テキスト上に磁場を作る(当然、「いす」や「ねこ」や「今日」や「痛い」といった単語もまた、用意された構造次第では、〈語り手〉として機能しうる)。〈語り手〉というコンポジションの法則を読みにおいて学び、駆使することで、人は、ある同一の文がテキスト内の別々の場所にあったとしても、それぞれの担いうる意味がまったく異なるという、ごく当たり前のケースを受け止め切ることができるし、ひとつのテキスト内ではっきりと矛盾した内容が記述されていたとしても、〈語り手〉の切り替えあるいは〈語り手〉それ自体がゆるやかに変容した結果として何気なく読み終えることが可能となる(そこでのゆるやかな変容はもちろん読み手のゆるやかな変容と対応する)。つまり、字義通りには受け止めきれない余剰がテキスト内に思考として生じてしまう。ゆえに〈語り手〉の把握は、ある身体が、その周囲にあるように見える環境に還元されないような行為をおこなっているとき、その内部に別の環境が掛けあわされている(ここに〈自由〉=魂がある)と感じるのに似ている。言語とはそもそもそれ自体、無数の記憶や環境の掛け合わせをそこにおいて生じさせる、ひとつの統合機関……編み物……身体としてある。
 その上で、その身体が位置付けられるところの空間が、活字の並びでしかない言語表現において立ち現れうるのはなぜなのか。言語表現における空間知覚は、風景を描写する中でその風景の内部に位置づけられる身体の履歴と位置と特性が〈語り手〉のそれとして、読みの傾向を作り出すなかで把握されるものであると同時に、なによりある〈語り手〉が、別の場所で立ち上げられた〈語り手〉と、たがいに交わらないまま衝突させられたときにこそ極端に露呈する。つまり魂と魂の衝突。二種類の〈環境の掛け合わせ方〉の掛け合わせ……そこで空間は、単にある視点から遠近法的にひとつの環境を観測することで把握される静的なものとしてではなく、環境を統制する視点において、別の視点がこちらの内部を行き交う、その行き交い可能な行為の幅として、私というものが、立体視のようなかたちで、事後的に思い出されるものだと感じられる。複数の〈語り手〉のかけあわせとして立ち上がる空間が重要なのは、それが、複数の環境のかけあわせによって生じる〈語り手〉それ自体の内的距離を、外的距離へと反転させたものとして――あるいは逆に、〈自由〉=魂を、外的距離が内的距離へと反転したものとして考える要因として――思考可能であるためだ。そのとき私は複数の距離の折りたたまれた空間として感じられる。きのうの私の次に今日の私が来て、その次に明日の私が来る、その執拗な連鎖の法則を……あるいは遠くにある窪地を見ながら私は平坦なここにいる、そのときの窪地に感じられる生々しいへこみを……別の魂をもった私との共同思考の素材とすること。これは、ホラー映画において、現実とは別の、幽霊個々人の所属する因果律が、幽霊ごとにばらばらに立ち上がり空間内にうろつきさまようが、同時にそれはそれらを知覚しているカメラあるいは登場人物の内部で生じている事態でもある(空間の性質がゆらいでいるのと同様に私が私であることがゆらいでいる)ことと、いくらか重ねて捉えられる。私が私であることへの思考と、国家が国家であることへの思考が、編み込まれるプロセスにこそ、幽霊(根本的に矛盾した空間同士の近接配置)は蔓延る。
 外部の距離を、内部の距離として扱い、さらにそれが外部の距離の複数性を準備する……この事態を実際の素材をもとに考えるために、言語的な空間性を、ある環境内に視覚情報として露出させてみる。3台のスマートフォンを用意し、そのうち2台が、互いにビデオ通話を行うことで、自らの撮影する空間を相手の画面に向けて伝達、上映する。あるスマートフォンに備え付けられているカメラレンズと画面は、いつもならその端末内部で自己完結している(画面はそれの属する端末の自己表出としてある)が、そのような事前の習慣が、奇妙にねじられるけれども消去されきることはなく絶えずつきまとうため、あるカメラが向けられている先の空間と、そのカメラの画面があらわす映像内の空間が、まったく時空間を別としているようであっても、ひとつの端末内部の事態として常識通りに処理されてしまったとき、端末間の関係が、単一端末独自の抵抗(魂?)として、錯覚される。外的距離が、内的距離へと反転する。
 さらにそうした様を、残り1台で撮影してみる。このとき撮影している様子もまた、その端末の画面にリアルタイムで表示されているため、それをまた2台のカメラのいずれかが撮影することで、結果として手元に残る映像のなかには、それを撮影しつつ自己表出している画面の運動が、指示されることになる。自己表出と指示表出が相互に入れ替わり横転する(これは語る私が語られる私としてテキスト内にリテラルに表示されがちな言語表現においてはありふれた状況である)。加えてここへ持ち込まれる鏡面は、ある空間把握の論理のなかの前後関係を反転させることで把握可能なもうひとつの空間をつくるとともに、2台のスマートフォンが行う映像交換が、前後とは別の何かを反転させる鏡面として機能していることを強調する。また、そもそもスマートフォンの画面それ自体も、撮影しているカメラのレンズと作り出す角度がある一定値を超えたとき、上映画面としての自己表出をやめ、単なる鏡面として像を映すことや(そのときあらわれる空間は、撮影されている端末の自己表出としてではなく、撮影している端末の自己表出としてあらわれる)、反転されたふたつの空間が、鏡面へのカメラの接近によってその区分を見失い、ひとつの空間としてあらわれながら、しかしその物質的性質は失われず、鏡面の上にスマートフォンを置くことができる(その鏡面自体が視点の立つ座標として把握可能である)、といったことなども、ある。
 とはいえここまでは、とても常識的な混乱のあり方とも言える。問題は、そうして立ち上がる空間(言い換えれば、この映像はある座標に立つものが捉えた自己表出として把握可能である、という論理が、内側で増幅させられて奇形化した結果得られる、因果律の掛け合わせ)の内部で、身体たち(彼らは、自分の持つ端末の画面に表示されている、別の端末の映像を大きな拠り所としながら、同時に別の身体がどのような位置で何をしているかをも把握しつつ、自分の端末を動かしていくことを求められるわけだが、そもそもこれら身体こそが外部環境を知覚し自己表出として行為を行っている端末であり、逆に言えばスマートフォンはそれぞれ自己表出を行う身体として錯覚させられるものだった)が、どのように動き、行き交えるのか、あるいは行き交うことでなにが生じ、どのような転用可能性が開けるのか、だ。そしてなにより、こうして即物的に露呈した空間が、再度個々の身体の内部に反転していくさまを、言語の空間性のモデルとして使用可能だろうか。それらを議論の焦点のひとつとする座談会4(それ自体、複数の空間を立ち上げながら別の空間に自らを介入させていく、ということが可能であるような空間=幽霊の蔓延る場の制作でもある)に向けた、ひとつの素材を得るための、練習として……。

 


練習1


練習2


練習3

2016_05_28

子どものころのぼくにとって原爆というのは世界というもの、本というもの、死ぬというもの、すべきことというものだった。毎日山のなかを走り回っていても怒られない、園長先生がクリスマスの前にサンタクロースの格好をしてプレゼントを配ってくれる幼稚園から、4歳の時にひっこし、変わった幼稚園ではこっそり教室をいつも抜けだして、体育館でひとり(もしくはそのときだけ仲のよかった友だちとふたり)で遊びまわっていたぼくは、6歳のときに小学校に入り、しばらくすると運動神経がどうしようもなくて2年生になるとひとりで昼休みに昼寝をしたり、なにより図書館でずっと本を読むようになった。パンについての本を読んだり、クリスマスの日にまちがえて子どもを撃ってしまった親についての絵本を読んだり、怪談についての辞書みたいな本や、お伽話集を読んだりしたことを、十何年たっても覚えていることになった。
どんどん読んでいくうちに、図書館の一角にずらずらと同じように暗い背表紙の並んだ写真集に手が伸びた。すごく重たい本だったから、棚の手前の床で読んだ。それは戦争に関する写真集だった。たくさんの死体や頭を見た。親に言うと、ああ、私らもむかしたくさんの中国のひとの死体を見た、と言っていた。
図書館には、戦争に関する漫画もたくさんあって、それをひたすら読んでもいた。中国で、戦争が終わって疲れきった顔で、地元の子どもを助け、遊んであげていた日本の軍人の男の人が、急に銃で子どもに撃たれるという終わり方の漫画や、被爆したおじさんが子どもたちに野球を教える漫画があったりした。ずっと出入りしていた、特別学級の教室にも、はだしのゲンがあって、毎日折り紙を折り続けていた日々の中で、読んでいた。ある日、図書館で、戦争の写真集があつまっている棚とは別のところにある、黄色く薄い本を見つけた。原爆についての写真集だった。そこで、溶けた女の子を見た。そのときぼくは5年生で、その、ほとんど同年代の女の子の写真を、ひどいぼくは、なかばむりやり友だちに見せたりとかしてこわがらせながら、原爆ってなんなの、と思っていた。
すると修学旅行で広島にいくことになった。資料館に行った。時間がなくて30分くらいで走りながら見た。パソコンをはじめて親からもらい、広島の原爆についてネットでずっと調べていた。子供向けのサイトがあっていろんなおはなしがあった。こわれたお弁当、ズタズタの布切れ、がれきの下の女の子。中学校にあがるとすごく立派な図書館で、本当にたくさんの全集や美術の本や理科の本、宇宙の本、恐竜の図鑑からSFからなにからたくさんがあるなかで、やっぱり戦争の本もあって、みんなが戦争の本を見ながらげらげら笑っていた。みんなもうこわがったりしなかった。中学3年生になると長崎に修学旅行に行くことになって長崎資料館に行った。友達とその修学旅行で絶交したせいか、まわりの人たちが原爆なんてどうでもいいと思ってるように思えて、むしろまじめに見てるのがいやなかんじにも思えて、ばかだった。広島よりもはっきりした展示が多い気がした。広島の資料館にはそのまえにもう一度行っていた。

歳をとるにつれて、世界にはひどいことがたくさんあるんだと思った。悲しいこともたくさんあって、哲学の本とかを読みながら死刑についてや少年犯罪についてをひたすら調べていてもけっきょくそのひどさ、悲しさ、誰がわるいとかではなくてなんでこんなことが起こってしまうのか、生きものと生きものがなにかしら接するということでそんなどうしようもなくつらいことが生じるということが信じられなくて、その信じられなさが、戦争についての写真たちと重なった。そしてもっと根本には、クリスマスの日にお父さんお母さんに銃で撃たれちゃった男の子の気持ちや、自分として生きることがどうしようもなくつらくて学校のなかをひたすら逃げまわって先生に探しまわられてた自分があったような気もする。
階段の裏側、掃除用具のためのブリキのロッカーがひとつあるだけの小さな空間は、ガラスの扉ごしに学校の中庭に面しているからなにも閉ざされた感じはなくて、緑色のゴムっぽい床に光が差し込んでその形が台形で、学校はどこも授業中だった。どこからも音がなくて、中庭の木々が風で揺れたのにあわせて光も揺れるはずないのに揺れてる気がして、ぼくはその光の温度に上靴の先が触れるくらいの位置に体操座りで座っていて、光と床の境目を見ていた。先生がそのあとぼくをどう見つけたのか覚えていないほど、そこだけがくっきりとした空間のまま、何年もが経っていた。

そういう空間がいくつか死ぬまでに見つかるというのはもちろんあると思う。でも、それがいつどこでどう残るかはわからないし、ぼくがいなくなったってその空間だけが残るかどうかなんてわからない。原爆でふきとんだ場所にもそれはあったのかもしれない。それがなくなったことは写真が教えてくれたけれどそれがどんなものだったかはわからない。ただ、それがなくなったということばかりが今ではつきまとう。

世界がここにある、それをぬぐうことが(そこにいる私も含めて)絶対にできないらしい、ということを、毎朝目覚めるたびにそれが同じ世界と私であることから知り、その裏側にこの世界がどれだけひどいことを起こし続けてきたのかが張り付いているのかを知り、なにもかもがまったく分かちがたい。いつでも主は世界そのものであり、受も世界そのものであり、その意味でただひたすらにこの世界とそこで生きている私はひどいことばっかりだった。
このあいだ、いぬのせなか座2号で、ぼくは、政治的であることは教育的であることと同義でしかありえない、と書いたのは、ほとんどそのどうしようもない「ひどいことばっかり」を拭い去るにはぼくがぼくであることからほとんど実在的にはじき出されなければできないことだと思ったからだった、死んだあとについてしかもう考えられないということだった。
オバマ大統領が広島訪問をした、というニュースを見ていて、自分でもすこしびっくりしたのだけれど、言葉、について考えた。演説を見て、世界と言葉が、世界とは言葉である、とかいうのとはまったく別に、なにか、世界と言葉が、どうしようもなさのなかでぐしゃぐしゃと入り混じってしまったような感じがして、すこし、戸惑った。語るものが、ある場所に行き、その「語るもの」として語ること、が、どうして、単なる文章の提示とはほとんど質的に違う、気持ちの動きを、原爆の関係の人たちに起こすのか、という本当にありふれた話が……きっとこの人が死ぬ前になにを祈っても、今ほどの言葉には(この世界に人間として生きるうえでは)至らないだろう、と……「ひどいことばっかり」とつながって、またあのころの、小学生のころの、どうしようもなさを感じていた。

つよいありんこ


f:id:hiroki_yamamoto:20160129220949j:image

以下、ノート(の一部)

A
ずっとむかしに捕らえられ、瓶のなかでながらく飼育され、産まれ継がれた子どもとして、宇宙で実験にさらされているありんこ。もう、ほとんど外での暮らしなんて忘れた、掘る土も運ぶえさもこの場にはなくて、むしろこの場しかない実験室で、重力の支えを取り外された体は、浮く。とっさに、自分に割り当てられた微かな重力をばらけさせ、すぐ隣にいるらしい生きものの体やものものらへ向けて投げうつし(あい)、それらを新たな地面として、そこに結わえられた私を確保しようとする。そういう執拗な親密さと長生きへの期待がある。惑星へもどってきたら、ふたたび割りあてられた大きな地面を、あのときの重力のすばやい分割と、ほうぼうの距離への想像のしかたをもとに、私の外にいる、とてもいっしょには遊べない小さな小さな生きものやものものらとのあいだで増やし、ほどいては重ねる、俳句を作って並べたい。(なのにそのことを子孫はけろっと忘れて笑っている)。後から気づいた新たな生活、遠くには宇宙が見えている。ただいっぱいの小さな重み。



B
乾板をのぞくつるし雲と子どもに似る
園灯のよいよ顔だけが頼りに婆ば
また皮膚の寒星木の先端の袋
坂道より積んだ空罐ふくれをおう
踏み込みの月「名が同じ」かえる近づいている
蝶割りて火山方角やや違え
死象食う「たましい」隠れ返されわたし
ねこのため蠅と食う狩込みの家
ただわたし除日他国男の子みゃあみゃあ
月失して詰まりしワゴン車も円墳見て
御下がりの忽と逃げ水滑走路
象のたびKEEPOUTの鏡文字
死たぬきに水面手折られ初狸
初鳩や四隅つかわず空地縫い
渡り蟹脚のみ星座膨らまし
探査機は埋まる蟷螂の始原材
郷たがえ食うも浮かるる落鰻
撃柝の去りゆく火伴か松葉杖
犬の草むしる横顔捻りけり
田をうずめ粉吹く画板を重ねしむ
枯露柿のまだ来ぬ嚢を掻きはらい
入植地こむら返りを見られけむ
白飛びの道路に雪もなかりけり
牛蒡引く辞書には鞄の皮を張り
筍の土湯掻きあう地蔵らよ

C
①他の生きもの(私?)がふらつく体で手探りしつづけているこの場のことを、かれらが残していく微かな気配をたよりに私も探る、人は足元に光がなくとも遠くに光があればなんとか歩ける。もしくは音。住宅街の細道にそくして流れる下水の音、川の凹凸。
体のバランスが崩れたとき、体のあちこちは、自分の外へ新たな重力を探してばたつくありんこの絡みあいになって、いつもよりも速く動き、地面に結わえられたままであろうとする。そこで地面が、外にいくつも投げうつされた重力にあわせて、あちこちに散らばる可能性も、あらわになる。
着地し、結わえられるべき地面を、古めかしさを残しつつ、新たに作ること。他の私は遠くで光る月か川の音のような竹林の鳴りか。あるいは「こちらが重力方向である」と考えることが、バランスを崩した体のなすとっさの動きを、どう変えているだろう。ひとつのからだやものに割り当てられた重力を分割し、腕は上方向へ、胸は斜め下方向へ、足はひたすら踏んばるように、それぞればらけさせ、壁や木や枝を地面にしてみる。すると体の近辺に残る、ほんの少しずつの重力を、ありんこは時間的にも空間的にも離れた別の私らを借りて、もしくは寄生され、何種類もここに重ね立つ。

②言葉は、特に書き言葉は、そのつどの作り手の持っている、地面への体の結わえ方を、身の内に埋め込んでいる。たとえば《近づくにつれ塔重き春の暮》(山口誓子)。私、なんて書かれなくてもそこには塔に向かって近づき遠ざかり、自らの見え抱える風景の重みに反応している「私」のありよう(と、そのまわりの環境)が、記されている(それにこちらも反応しなければ、この短な語句の連なりを読むことがぜんぜんできない)。
遠くに見える、私の歩きの頼りになる、光。等間隔の階段を、足元を見ずに駆けおりるその一歩ずつの踏み込みの、幅。そうした「地面への体の結わえ方」は、書き記された言葉の上では、言葉の使い方としてあらわれるけれど、言葉がより集まって長々としたテキストになると、一文ごとに作り出される体の結わえ方とは別の、総体としてのざっくばらんな結わえ方が、先ほどまで読んでいた自分への想起の助け、道しるべとして、新たに作られる。それがいわゆる、語り手である。
対象となるテキストのなかの、ある言葉を中心(霊媒)にして、四方の言葉らをかきあつめ、押し固める力。人らしきものを指し示している言葉や、執拗に反復されている言葉が、特にその中心(霊媒)になりやすいだろう。読み手は自分のなかにすでにある、ありふれた因果関係を、「語り手」として文章の集まりへ投影し、新たに見えてくる次の一文を、そのつど語り手のもとへと、語り手の色やかたちをゆるやかに変えながら、溶け込ませていく。この繰り返しで、ある一定量をもった文章は、人間が処理できる量にまで縮減され、読まれうることになる。
語り手は、読み手の手元にあるあらゆる要素をかきあつめて、作り上げられたりもする。手がかりがないかみんな必死だ。たとえば詩のレイアウト……いくらかの量の言葉が枠線で囲まれている、もしくはここでなぜか改行がなされている、さらにはこの言葉の次にこの言葉が配置されているというたったそれだけのことでも、人は語り手を作る上でのとっかかりにすることで、よりうまく不安なく、書き記された言葉を読み行為としてまねられるようにする。そのぶんよく語り手は、作り手と混同されもするだろう(私小説がよりどころとする回路である)。
では、もしも、事前に用意した語り手が、吸収しようにも耐えきれないような逸脱した一文が、次の行に見つけられたとしたら……階段をのぼろうと一歩を高く上げて踏み込んだ瞬間に階段はなく、平坦な地面へ全身でがくんと落下したとしたら……たんじゅんなはなし、そこでは語り手は二人、三人、と増えていってしまう。あるいは電車の中を歩きながら海で泳いでいるようなことが可能な、不思議な生きものになってしまう。それに読み手がみな気づくかどうかは別として(なるべくそれに気づかないで済ますのが、語り手という単位なのだから)、しかし常にそういった次元で気づかずに済ますことなく、二人、三人とむやみやたらに語り手を増やしながらもひとつの私を維持し、自らを「電車の中を歩きながら海で泳いでいるようなことが可能な、不思議な生きもの」へ発達させようとする、重力と光の重ね塗りについての技術のかたまりを、小説と呼ぶ。
語り手は、自分の内側に、何人もの登場人物を見つけることになる。そしてまた、それらに、入れ子状にお互いを語りあってもらい、時空間の奥行きをつくりだす。いわゆる物語である。やはりそこでもレイアウトは幅を利かせている。数万文字で形づくられたテキストのなかで、「〜とありは言った」の直前に記された文章は、そのページからはるか遠くに記されてある、同じく「〜とありは言った」の直前の文章を、読み手において一気に引き寄せるだろう。あるいは「岩の上のあり」と「水に浮かぶあり」を、それぞれ岩や水の表面を巻き取りながらのありとして、結わえ、ありという語り手の姿がとりうるバリエーションを、押し広げるだろう(これの極端に演じられたものが、SFや幻想小説の姿をなす)。
小説とは、言葉が持つ「地面への体の結わえ方」の、さらなる引き寄せや結わえの身振りであり、本に記された言葉たちは、結局のところ、その振りつけでしかない(だけであれる)。書き手は、きのう自分の作った振りつけをもとに、きのうとはちがう寝起きの体で動いてみる、その動きをもとにまた振りつけを塗り重ねてみる。そうした繰り返しによって作り出される語り手たちの配置=レイアウト、さらにはそれらを畳みこみ抱えあるく、架空の体と重力を備えた「書き直しの担い手」の制作。言い換えれば、語り手の中心(霊媒)となる言葉によって、ふつうはありえないような量の情報を処理できてしまえるような生きものへの、進化の過程が垣間見える。それは書き直しを可能にする媒体と、私自身における距離があれば成り立ちうるのだから、つまりは書き言葉に依存していない。
ゆえに、書き言葉から語り手をいったん追い出して、書き言葉に許された重力を、ひたすら風景のみに関わるよう仕立てあげることは、できないか。たとえば俳句……《蛇腹へ伏す背に重きS字絞》《夏よもぎ眠れば脳も片寄れる》(安井浩司)のように、書いた私の身のこなしを、ほとんど書き直し不可能なまでに不明にさせる、それ全体を覚えなければ想起できないような、(私の)高速増殖炉である短なまとまり。そのぶん語り手の位置、レイアウトを、線や体や舞台設計、ありんこたちにやってみていただく。

③語り手に関する小説的操作は、あるひとつの文章から、複数の読み、複数の「地面への体の結わえ方」を成り立たせる。小説の、瞬間的にすべてを見渡せないような量が、目の前のなにげない一文を、あらゆる誤読の振れ幅の布地にする。とはいえこの振れ幅は、数え切ることができないし、多くの場合、思い出しや推測を介してしか触れることすらできない。これを、線を描くことで、補ってみる。
必死に何匹もがごろごろ絡みあっているすがたや、ひとつのからだのなかで別の体に気を取られて弱り切っている体の踊りを、自分の体の動かし方を思い出しながら、手元なんて見ずに描きとろうとすると、ほとんど見覚えのない動きが記されているけれど、その記された動き同士は、由来にした見覚えある体にあわせて、区別がつく。または不意に別のものと似る。人を見るときは人のような形が得られそうになるし、手だけの踊りにはそれがない。動物に対しては内側の動きというよりも輪郭を人の動きでなぞるようになってしまうこの差は何か。それらを大きな紙の上に転写し、つなげたりちぎったり塗ったり書き記したりして作ったものを、絵巻物、と呼べるだろうか。

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この乗り物の、外へ身を投げ出して風景の側に近づこうとするなら、たちまち内臓はひっくりかえって重力はなくなり、乗り物がいかに地面というものを仮構しているのか気づかされる。空中に投げ出された体という容器は、重力を求めて落下をはじめるが、その気忙しい動きは地面の拡大をともなっている。風景が拡大も縮小もされないままに落下することは可能かどうか。この問いは、乗り物に入った身体が、風景に見つめられることを前提としていないために見ることが容易にできてしまっていることを、背景として持つ。乗り物にのって近づいたり離れたりするうちは、拡大縮小するのは風景だが、乗り物から離れて身体が自由落下をはじめたとき、拡大縮小することを期待されるのは身体である。この身体を、ただひたすらに風景の前へ差し出し、見つめられるだけにすること。もちろんそれは、私と風景の間にマジックミラーなどがない限り不可能だが、風景と比べて私に過度に所有を許されているかに思える想起という営みを、その偏りもろとも主客逆転させ、風景こそが想起するのであれば、拡大縮小は、風景こそが担い、私の身体はそれに分け与えられているだけに過ぎなくなれるだろう。この逆転、想起の往来を、風景ないしは身体をそれぞれ蝶番としてぱたぱたとあちこちにつなぎ広めること。乗り物はそのはためきを支える地面として作られ、宙へ飛び立たせられる。

ドローイングは、変容を捉えるが、それは写真のように、ある一瞬の宙に浮いた問いのかたち――次にはどう動くのか?――をとるのではなく、それらの堆積と、強引な結合としての、問いのかたちをとる。そしてまた、ドローイングの一枚一枚は基本的にはあるひとつの身体の、あるひとつの幅をもった時空間内での動きを一連のものとして捉えているわけだが、一枚一枚が醸し出す変容は、一枚の内での線一本一本がすぐ間近の線とともに醸し出す変容とは圧力が異なる。線同士は互いに互いを見あやまろうとする引力によってまじりあっているが、連なる一枚一枚の抱える変容への問いのかたちは、またもや異なる。ゆえにあるドローイングの一枚を、落書き帳から引きちぎって編集・レイアウトの素材とすることが可能となる。一枚一枚は、お互いと似通っているが、しかしそれらをつなぐ系列はそれそのもののなかからは引き出せず、レイアウト行為によってはじめて見出されるものと思われる。

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小説という営みからはじき出された言語は、なにを担うのか。
①線の群れたるページ同士をつなぐとともにそれらの距離、位置を確定するコミュニケーションツール(=いったん引き剥がされた重力をもういちど新たに作り出すためのレイアウトの論理)
②踊りにおいて身体の作動を変える、頭のなかのガス、舞踏譜
③読解不可能性の地獄を極楽へと転化させ、言語に身を寄せるのではなく言語を極私有化し、野鼠や樹木らを読み手として引き入れる媒体
これら3つをどう重ねるか?

線と線がつくる関係性と、一枚一枚が作り出す関係性の違いを考える。変容、次にどう動くかという問いの埋め込み。その、どう動くかというところで、俳句は、動きの種になるし(頭の中のガスは身体を通過して奇妙な動きになる)、ページを事前にあった時間系列ではなく新たなレイアウトの中へ落とし込めるための法則としても働く。

ここで、読解不可能性は重要となる。読解不可能性にもさまざまな運動の傾向があり、また同時にそれは無限に誤読可能である。だからこそ私の身体にも使用可能であった。???
が、それをどうレイアウトの論理として使用するか。線と線の間にある誤読の結実たるドローイングのかたちを、どう俳句の誤読性と結びつけるのか。(語らが読みの循環の中でさわさわとうごめき役割を変えていくことと、いまこの瞬間書いている線が目の前の身体の動きと数秒前の記憶のあいだで揺れ動き右手が左足に背骨が右足先になっていく感覚は、接続しうるのかどうか)

以下、阿部嘉昭「俳句、驚愕をつなぐ声の力 ――正岡子規と安井浩司と」
《いかような「部分」からでも「全体」が(不可能裡に)志向されるのだから、交換原則を活性化させる換喩は、付帯的に空間の自明性を換えてみせることにもなる。》
「存在対照の秘儀」……
《糸遊にいまはらわたを出しつくす》
《漆くぐる犬からもわが泪おつ》
《犬二匹まひるの夢殿見せあえり》
《魚二匹互いに呑みあい失せる春》
《有耶無耶の関ふりむけば汝と我》
《少年が左手にもてば蓮の過去》(ゆんて)
《葛にねて汝が身体に宿ひとつ》
《古春や姉の衣を着て我ならん》
《雁の空落ちくるものを身籠らん》
《死鴉を吊るし春空からす除け》
《東風のまま回れる空も天の中》
《いずれにせよありうべき俳句とは、驚愕を平滑につなぐ(極小の)声の力なのだ。〔…〕多くが収縮する暗喩には、こうした救済にむかう拡張機能がない。》
再帰の可能性とはつまり、言葉が言葉自体ともつ関係の可能性のことである。》《思考は思考の思考である》(アガンベン
再帰性そのものが領域をつくり、それがことばによる救済を上演する。その手続きもまた、同語を喚びだして虚の埒をそこにつくる、いわば換喩の第二機能に負っている。俳句はこれが自家薬籠中なのだ。》

俳句における写生。見た光景を言葉に変換するが、575等にはばまれ、凝縮を余儀なくされる。その書き直しのなかで、風景と結びついていた言葉が誤読され新たな波長・配列を作り出してしまわざるをえなくなる。結果、誤読が組み込まれた写生俳句ができるか。

山を見ると、それを踏みしめ登る動きを「あたまの中のガス」として作ることができる、とは?

もは、理屈になる。のは、景色になる。(森円月宛の子規の手紙)

《根源的な運動性は、あくまでも持続している。核は、根源的な運動性を保持し、核とともに、各層もまたしかり。各層もひとしく根源的に運動的であって、ただ層はそれ自体では運動できず、核とともに動くのである。層は、走ることなく、機械のように動く。それは、核に対しては運動しない関係にあるが、核が動くから、ともに運動するのである。》クレー