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S1

 たった二千年前、ムクドリが冷たい風の年中吹く、せまい海の上にしか住んでいなかったころ、海では電車は船とともにしぶきをあげながら海面を渡り、太陽の光を反射して、プラスチックのように平坦に輝くしかなかった世界中の海にいつかは届くことになる波を生んでいた。今でも海が自分から住処を広げるために海岸を洗い、崖を削り、港を沈められるのもこの時代があってこそであり、誰しもが瓶に入れた手紙をうまく相手に届けられているのもまた、ごく最近になってからのことだった。
 海のなかではオウムガイが百本の足を鉛筆に絡ませながら一文字ずつを書き、トビウオは三つある口からぎこちない朗読を順番に吐くことで手紙の理解にはげんだ。サンゴ礁は今ほどいねむりではなかったけれど、それでも夜にならないと目覚めなかったし学校にも行かなかった。星座は海を濁らすほどにあり、夜になると月とともに空へと上がっては、朝を避けて海へと帰っていった。
 線路を巡って育つまぐろの漁獲がさかんだった港では、今でも四本足のくじらが網に引っかかったという、生臭いにおいの言い伝えがあった。そこにはいつも掠れた写真が一枚、添えられている。小さなエビたちが、そのころ村で流行ったポロライド風のデジタルカメラで撮影した写真――どうしてそれなら一枚しかないのかと、疑ったりできるなんて嘘だ――溶岩のように大きなくじらは、電車や船ではありえないほどに大きな波のはじまりを、海から陸へと上がる瞬間に生み出しては川をたどって山へと駆け上り、そこで生涯を終えて石像となったために、二度と生まれ故郷の海へと帰ることがなかったらしい。
 そのかわりに、石像の足元のとても小さな面積には、死に目に立ち会った老人の代筆として、拙い手つきで操られたノミが手紙を掘り、石像のかたちとその手紙の不思議な言語で綴られた文面は、それらのすべてのもととなったくじらを知ると主張する、生きたふるさとを待たされ続けていた。
 そうして光を嫌う粘菌のように、地表のいたるところで駆け回りながら、微かな軌跡ばかりを残していくくじらたちの手によって溜まるばかりの地球の薄皮には、例えばこんなことが書かれていた。
「祈るしアイスクリームが食べたい」
「とてもあつい顔」
「魂がないけれどそれに慣れたい」
「ぼくの死骸が海の底で豊かな集合住宅になっている。流木がマンションをつなぐ橋。水に浸った火山の噴き出す空気を吸って生きる微生物を蓄えて、せっせといまだに生きています」
「とはいえここでは千年が過ぎ、二千年が落ちぶれた」