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 10年後の今日、午前4時。世界中が神さまの音という音に包まれて凍え死んでいたころ、彼らはわざわざ暖房の効いた小部屋から出て、給水塔すらないマンションの屋上に集まっていた。その9人の住人たちのうちのほとんどが、マンションに住みはじめてから一度も屋上のことなんて考えてみたことがなかったし、唯一の例外だった19歳の男の子も、真夏に酔って帰ってきたついでに何気なくのぼったことがあるというくらいで、今ではその記憶は、ほとんど夢と変わりがなくなってしまっていた。
 彼らは、自分たちが自らすすんで屋上へ出てきたことを知ってはいたけれど、そのぶん、自分のほかにも同じような人たちが何人も屋上に集まってきたことに不安を抱いていた。その不安は、暖房に閉じ込められた部屋のなかで、テレビとiPhoneにかじりついて眠っていた数分前の自分たちのままでいれば感じることがなかったはずのものであったし、となれば、ここに集まった9人を除く残りの住人たちは、なんの心配もなく今もそれぞれの小部屋で、眠りのなか、真冬のニュースを調べつくそうとしているはずだ。
 でも、屋上に集まった9人は、むしろそのときマンションに住んでいた人たちの、生きた全員より2人も多かった。34人の住人のうちの18人はすでに死に、5人は行方不明、4人は「うさぎのむれ」になっていた。
 屋上にいる9人は、おもいおもいの重みのヘッドホンを両耳につけて、やわらかなタオルを喉に三重に巻き、指先くつしたを4枚履いた格好で、空を見たり、自分たちの倍ほどもある背の高さのマンションの、まわりを取り囲むように建っている事実と光景を見つめながら、自分たちのマンションがどれだけ背の低いものだったのかをなんとか受け止めようとしていた。それともいつのまにか世界中が、どんどんと背の高さを増しているんじゃないか、自分たちだけをほったらかしにして。
 3ヶ月ぶりに外に出た。テレビやインターネットごしに聞くのじゃない寒さを(ヘッドホンごしにではあるけれど)聞いて、少し、落ちつきたい。そんなふうに思っていると、9人のなかの余剰な2人が、それぞれのiPhoneで動画を撮りはじめた。空の色と、まわりのビルの色とが混ざりあうあたりにカメラを向けていた。なにかをしゃべっている。ひとりごとのように見えるけれど、この人たちはなにを撮ってるんだろう。空に積もった雪だって、無音に近すぎる密度のうるささだって、撮るに値するくらいにはきれいだった。
 2人の着ているコートの袖口から、ボタンとボタンの間から、何十匹ものうさぎがこぼれ出てきた。そうか、2人は楽器だったんだ。計算にとっては、楽器は生きているもののうちには入らないないんだな、と妙に納得する。音は、どれだけ長いあいだ、拾いあつめられるのでしょう。