2012-06-04

 くじらが人間の手足を持つなら山に住むのか海に住むのかを考え、何匹かのくじらは山に住むことにしたけれどほとんどのくじらは海にいた。

 港ではその日は漁が打ち止められて船はすべてくじらのために道を開き、朝から学校の休みになった子どもたちが海岸線に沿って並んだ屋台でりんご飴を食べながら

「くじらはすごいよね」

 と言った。くじらを見たことがなかった。

 祭りであることは確かなのに祝賀であるかは不確かだったのは自分たちの港町がくじらにとっては通過点でしかないから、今日だけで異変は終わりまた明日になるといつも通りに夏から冬にかけての漁が始まる。子どもたちはもうすぐ夏休みだから山に遊びに行けるのは、子どもたちが祭りの準備をしなくても母親から今日だけの特別の小遣いを三百円もらい、みんなでいろんな種類の食べ物を買って分けあい食べながらくじらを待つのを誰も咎めたりしない。

 漁師の男たちはビールを片手に空を見ている。女たちは港の飾りつけをするのが昨日の段階では今日が雨だと予報されていたから、雨だと飾りつけをしても濡れてしまい意味がない。家で集まりひたすら色紙を切っては貼りつけて輪にして繋げるのを夜通し続けていた。朝起きてもやっぱり今にも雨が降りそうで日にちを変えなくちゃいけないと口々に言っていたのに一人の主婦がテレビを点けてみると天気予報が今日は晴天で熱中症になると言った。紫外線対策は必須です。

 主婦たちは忘れていた日焼けどめとサンバイザーを取りに家に帰ると子どもは学校が休みになると喜び、夫は漁が休みになると眠っていた。その通り雨は一滴も降ることなく雲は流れていき、海は水面が震えるたびに光の砕けた角度がいくつも集まってきらめき、みるみるうちに蒸発を始めてくじらが陸に上がる準備を始めた。

 男たちはビールを一息に飲み、新たにジョッキの一杯まで注いでもらうとぞろぞろと港に駆け出した。子どもたちはりんご飴を噛み砕いた。女たちはまだ飾りつけの途中だったけれどそこはくじらの通り道ではないから関係なかった。

 水面がきらめくのを止め、広大な一枚のプラスチックのようになり、一本の直線が港から水平線へと途切れることなく引かれた。真っ白に充血したその直線は海を右と左に区分けしてしまい、右の面と左の面が真っ白な直線を境にしてそれぞれ内側を高めるように傾き、四十五度を越えたあたりでパキンと、あまりに軽すぎる音が鳴って海の表面が割れ、底に沈んだ。そしてくじらが人間の手足を携え三匹港にあがった。

 三匹のくじらの後ろには見送る、けれど気持ち悪いとも思っている他のくじらがちらちらと見守り、人々はどちらかというとその見守るくじらたちの方に視線を向けてしまった。人間の手足を持ちながら山には行かない、海にいるのがいいくじらたちはその手足を見せることなくあっという間に海の底へと帰った。

 それを静かに見つめる人々は慌てて山に向かう三匹は今どうなった? どうなった? と周囲を見回してもびっしょり濡れた地面しかなかったし、それもすぐに昼間の垂直な光によって乾いてどこにもなくなった。子どもたちは父親が汗をびっしょりとかいたから水を全身にかぶり、下着だけを履いて通りを歩くときにアスファルトに残る水の足跡とさほど変わらないくじらの足跡を

「なーんだ、すごく小さいじゃん」

 と退屈だった。

 くじらは次の日に山奥の村につくと村長に挨拶したいと言ったのが夜中だったから村長は眠っていた。翌朝、職員が出勤するころにはすっかり干からびたくじらが三匹市役所の中にたたずんでいた。

「どうしました」

 職員は聞かされていなかったから戸惑ったけれどひとまず村長に話すと、村長はびっくりしてくじらの三匹に近づき

「お待ちしておりました!」

 と目を大きくして笑った。

 くじらは村に最近できた高層といっても五階建てのホテルを三部屋借りた。ベッドはもちろんダブルベッドにしてもらった。窓から眺める景色は四階だったから最高とまではいかなかったけれど、ホテルは買い手のつかなくなった墓地を高台であるという理由で東京の若い会社が買い取り、三年がかりで建設した高級ホテルだから村の至るところが見渡せるし山を越えた隣町すらもよく見え、でも海は遠過ぎて見えるはずもなかった。