~2012-06-02

 

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「お前はもうこれだけ生きた」と16年前の写真にうつるぼくの後ろの壁に貼りつけてある母親の写真を覚えているぼくに言われる。

生まれてからこれまでの20年間でぼくが見、ぼくを見たあらゆる人にありがとうございました。

外部を外部として受け入れることのできない、つまりはいつか理解しないといけないように思ってしまう人のために生きる。ぼくのなかの能動性と受動性が世界を覆いつくそうとすることがそのまま世界を埋める祈りに近い。

五歳のころアパートの近隣だった友達をほとんど覚えていないけれど、まだかろうじて覚えていた十歳のころに母親に連れられて遊びに行ったその友達の家で、バリバリに割れたPSのCDソフトを目の前で起動されて「まだ動く、まだ動く!」と思った。

役所に行くのがカフカに会いに行くようであるのは今だけだった。

「殴りたいなら皮を剥げ」と言われた。カズナが男を殴る代わりにシャライが全身の皮を自分で剥いだ。狭い地下室の薄暗い光の中で、シャライはするすると首元からナイフを刺しこみ、痛そうな顔を少しだけしながら 

「腕も剥ぐ方がよりよく殴れるかな」

 と言うと男は

「もちろん」

 と答えた。

「なんでこんなことをさせるんだよ」

 とカズナはすごく殴りたかったから掴みかかったのに、男は

「殴るのは本当に難しいことだからお前は殴れない」

 と言う通りにカズナは殴れなかった。

 殴らずに済むには起きるしかなかった。皮を剥ぐのを見たくなかったし、殴りたいと思うのも嫌だった。起きてすぐにシャライは昨日自分が会った人だ、昨日もおとといもその前も会ったしこれからもきっと会う、自分の十二歳のころからの友達だとわかったからカズナは誰かを殴らないといけない時がいつか来た。夢なんかじゃなかった。それまで隣でシャライが自分で自分の皮を剥ぐのを止められないくらい難しい殴るという行為がどういうことなのかカズナにはわからなかった。カズナが誰かを殴る力のあり方や痛みや触感を想像するのが、例えば自分の腕や足や顔を切り取って食べるくらいは想像できるけれど、そこから先はできなかった。カズナはシャライに話すと何を言われるかさえもわからなかったから言わなかった。でも確信があった。

「体調はどう?」

なんだろうと思ってよく考えてみたら、今日は割れそうなものを高い場所においていた。