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2015-10-04

すごく理不尽な、なのに平然とまかり通ってしまっている事がらに対して、政治に対してのような怒りをおぼえてなにかをなにかでなぐりつけている夢の動きで、目が覚める。しばらくゆらゆらしていると、hさんから電話がかかり、見た夢の話をされる。夢は感情だけをおぼえたまま、その感情が根づいているはずの経験・出来事自体はなぜかすっぽり忘れてしまうということがある、という話をする。

『海市 もうひとつのユートピア』。岡崎乾二郎さんの都市計画案、こうやっていくつもに引用をとびとび重ねながらものをつくる手段にやっぱり啓発される。メタファーで制作物を何重にも発展させていくことを、思弁的とは決して言わない。そのつどの抵抗を処理していくという意味では、ぼくはいままで一度も小説制作を思弁的な行為だとは思ったことがない。そんなに軽くない。いつも、一語かえるたびに全体がひしめいて、その対処にほとんど全身つかれきる、そのくり返し。

表参道まで行って『Don't Follow the Wind - Non-Visitor Center展』。場所が失われた、しかしあたまときまりを抜きにすればぜんぜん行くこと自体はできる(ただしそれはまったく過去の状態とはちがう)という状態で、そのなかに事物をつくるということ。それは、いまはもうない、自分の育った風景に帰ろうとする身ぶりに似るものの、しかしその風景は福島の場合はくらしのなかから取り除かれている。展示されているものの中にはいくつか、あれって思うものもあったけれど、こういう試みは制作者それぞれの問題として、重要だと思う。自らいちど死ににいくようなものだ。

渋谷までワタリウム美術館からあるく。

道路から壁づたいに下の畑へ降りる道の、入り口を封じているフェンスの上に、カラスが一羽、止まっている。もう一羽が降りるところを見て、横並びにこちらへ歩いてきている女の子四人が、わ、だいじょうぶ? と騒ぎはじめる、からすが間近で大きいからかと思うけれど、食べられるんじゃない? うそー、とも聞こえる。近づいて、女の子らと同じフェンスの向こう側の四角いスペースを覗くと、カラス二羽と三角形をつくるように、ねこがすわっていた。女の子らは、ねこー、ねこー、にゃー、と言うと、ねこが、うつむいて、にゃー、と言う。ぼくはねこの前で一瞬立ち止まるけれど、ななめ後ろで同じように立ち止まってにゃーにゃー言っている女の子らに追い立てられてまた進みはじめ、しばらく歩いたあと、後ろへ振り向き、もう歩きはじめている女の子らが映り、ぼくは来た道を引き返す。フェンスの向こう側には、カラスが飛び跳ね、ねこはいない。

シネマヴェーラ渋谷黒沢清特集、『廃校綺談』『木霊』『花子さん』『タイムスリップ』『ドレミファ娘の血は騒ぐ』。廃校〜木霊〜花子さんは、もう確立されたすごさ。いちど、知りあいの人に、ああいう小説を書きたいんです、と言ったことがあったけれど、それは今でもそう思う。『ドレミファ娘の血は騒ぐ』は、かわいい映画。洞口さんに宮崎あおいのような印象を受けるけれど(『害虫』のころ)、単にわからない女の子ではなくてへんてこさもあるのがよりかわいいかんじ、かわいいというかよくつくられた生きものというぐあい。見ていてどきどきする。

夜にhさんからまた夢に関しての話。感情がすこし違っていたというけれど、あまり朝と違っていなかったような感じでもある。たまを久しぶり(といっても数週間ぶり)にきちんと聞いて、泣きそうになる。