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2014-05-03

 赤ワインの染みを抜くための夜中の洗濯と、くるりの「ハローグッバイ」を聞きながらこれを書くことになる。

 都会の、みんなよい街として名前を知っているらしい街のヤマダ電機で、地方にはないような商品区分の階層をたどり、ぼくたちは目的のイヤホンコーナーへ行く前にテレビ売り場にやってきていた。
 ぼくたちは3Dテレビにギャーギャー言ったり、発売したばかりの4kテレビを見てそのなかのフランスのような街並みの、扇形になった階段の段差が浮き出て見えるほどの(えぐれたような)画質においてけぼりになりながら、たくさんあるテレビを見わたしていった。映画がたくさんあった。エヴァの破のブルーレイが流れていたのをhさんが指差して言った。これは見たことがある!
 ぼくは知っている映画が流れていても、映画をほとんど見たことのないhさんは知らなかった。ひとつひとつクイズみたいに映画の名前を言いながら、値段を見てギャーギャー言ったり、画面の大きさにギャーギャー言ったり、映画の内容について喋ったりするぼくをおいてhさんがつぎつぎテレビを指差してまわる。
 ぼくはもういちどスターウォーズをぜんぶ見てみたかった。スターウォーズ4のビデオを5歳か6歳の誕生日に買ってもらった。スターウォーズ2の公開のときに字幕で見たいと言ったら無理だと言われて吹き替えで見た。スターウォーズに本格的にはまったのは12歳のときで、スターウォーズ3の公開のときに映画館でひとりで見て、おいてけぼりの気持ちで帰った。

 中学校の友達に、すごく白髪が多くて染めてるみたいな友だちがいた。その人の名前はまだ覚えていた。ぼくが友だちをほとんどゼロにしていたときも仲がよくて、帰りの電車を待つ駅でぼくがその友だちの顔を携帯電話で大きく動画に撮ったときの動画を覚えていた。夕日がすごすぎて画質はガザガザしていた。
 その友だちはスターウォーズがすごく好きだった。ぼくも好きだった。スターウォーズのノベライズだけの話について話せる人は今でもあの人くらいしか出会ってないかもしれない。
 中学3年生のころに文化祭があった。その準備日にぼくたちは暇をしていて、でもぼくをいじめてた人たちはぼくをいじめるのに熱心で、ぼくの机に紙粘土をたくさんつける遊びをしていた。
 そのあとぼくはそれを先生に知らされて、いじめてた人たちがそのこわい先生にすごくシメラレタことを聞かされた。よくわからないままいじめはなくなった。
 そんなことはまだ知らない文化祭準備日のぼくは、近ごろつけてる手帳に、読んでる本についてのメモをとっていた。そしてそれをその友だちに説明していた。読んでいた本はドストエフスキーカラマーゾフの兄弟だった。
 ぼくはその本を15歳の1年間をかけて読んだ。もともと小説なんてほとんど読まずに宇宙や暗号の本ばかり読んでいたぼくは(小学生のころは図書館の本をみんな読んだけれどそれでも小説よりノンフィクションみたいな本の方が楽しかったし、戦争写真の本はひたすら読んでいた)、エヴァに触れてから急に哲学の本を、エヴァの謎解き本の延長で手にとりはじめた。
 最初はカントの自我論についての本だった。カントなんて誰か知らなかったからたいへんだった。カラマーゾフの兄弟ドストエフスキーなんてぜんぜん知らなかったけれど、庵野秀明のインタビュー本のなかの注釈で、ハイデガー存在と時間に並んで、カラマーゾフの兄弟が紹介されていた。それがきっかけだった気がする。そのころはやっていた光文社のものじゃなくて新潮の3冊を買った。
 それを1年間かけて読んだのだった。本当に遅い読書が身についてしまった。今でも残るそれは、あらゆる文章を見過ごすことができないものだった。エヴァについても、コマ送りにして毎日見ていたし、台本もカットも音楽の名前もみんな覚えていたから、もともとそういうものだったのかもしれないけれど、ちょっと変だった。
 それから16歳のときにル・クレジオを読んでもっとたいへんに読書が遅くなった。全ページを暗記しないといけない気がしていた。2ヶ月くらいかけて1冊の小説を読むことが当たり前の幸運な日々!
 もともと映画を撮りたかった。でもひとりでは撮れなかった。今みたいにiPhoneが一台でもあればよかったのに、いつも頭のなかで映像の動きばかり考えていた。仕方ないから小説を書いた。文化祭準備日のぼくが手帳に書き込んでいたのも、小説の原案みたいなものを書くための手帳だったはずだ。その友だちに、なにかを必死に話していた。なんだったのかは忘れた。
 その友だちとは、高校1年生になって、クラスが変わってから(ぼくは中高一貫だった)ぜんぜん話さなくなってしまった。廊下ですれ違ってもなにも話さなくなってしまった。ぼくはこれまで絶交した人が多すぎる、少しなにか悪いことがあったり、しばらく会わないことがあったりしたらすぐにぼくから避けるようになってしまう、これは今でもそうだ、ぼくはばかだ。

 いま、hが眠った。

 赤ワインのついた、hさんが縫ってくれた布はきれいになった。

 ばかなぼくはhさんといっしょにヤマダ電機のテレビ売り場のすごくきれいなテレビのなかの外国の海を見ていた。人が船を漕いでいた。こんなところがあるなんて思わなかった。テレビがきれいだった。触れそうなくらいきれいで、まるでそこにいるみたいだった。

 ぼくたちはプロジェクターの部屋に入った。暗い部屋のなかに大きな画面が投影されていた。ぼくたちは投影機の前をジャンプしたり手を振ったりした。字幕の文字が自分たちのからだに映った。映画のなかにぼくたちの体が欠けた。

 ぼくたちはまた外国の海の前にもどっていた。本当にきれいで、いつかここに行きたいね、とどちらかが言った。