新しいホームページと、公開した4つの小説について

新しいものとしてのホームページを立ち上げました。

hiroki_yamamoto+h

これからしばらくを書けてぼくはこのページを拡張していくように考えています。

また、それにともない、4つの小説をそのサイト上で公開しました。

以下が4つです。

 

1つめ:pot hole

書いたのは2012年の春のことです。

Puffer Trainを書くための準備として、自分のなかの言葉の自由さを広げるために書いた覚えがあります。それは、認識とうまく伴走してくれる言葉の使用方法という意味での自由さでも、また現実を何種類にもおくことができるという自由さでも、さらには言葉そのものが実際に生きているぼくの体そのもの、世界そのものに影響を与え続けてしまうような自由さでもあるのです。その日、目にしたものが、そのまま小説となるような書き方。その練習としてPuffer Trainがあったとすれば、この小説は、練習そのものの基礎を固めるためのものだったのです。その結果、ひどくおかしな言葉遣いをする小説になりました。

内容に関しては、実際にぼくが覚えているいくつかの事柄と、またそれとは時間を遠く隔てている現実を、夢と噂を通じて重ねあわせつつ、物理的な距離を縮めようとするもの、のような気がします。

 

2つめ:pentadecathlon

書いたのは、2012年の秋です。

このとき、Puffer Trainのちょうど中間あたりまで書き進めていました。結果、この短編はPuffer Trainの番外編?のようなかたちになっています。これもまた、上のものと同じく、「その日見たものを小説として生きるにはどうすればいいのか」を、中心に置きつつ書かれたものと思います。一番念頭に置いていたのは、柴崎友香でした。(このあたりの時期、ぼくは柴崎友香さんの小説ばかりを集中して読んでいたように思います。)

 

3つめ:lenticular

書いたのは、一番最近、2013年の6月ごろです。

Puffer Trainを書き終わり、どうにもカラッポになってしまった中で、集中して書き進めました。ひたすら同じ箇所を書き直し、削除し、を繰り返しつつ、重きをおいたのは、三人称として書くこと、それから視点所持者との距離を一定に保つことでした。

それは、妙な言い方になるかもしれませんが、絶えずカメラの持ち手を変更し、それと同時に世界もまた変更し、それらの集合として小説内の時間を進めていくということにつながりました。Puffer Trainでもいくらか行ったのですが、映像を録画すること、映像をネット中継すること、そこにコメントを寄せることなどをどう小説で扱うか。それに関連して、予知や宇宙人、DNA、数字、フィクションと多宇宙、などといった要素を可能な限り詰め込む。誰がこの言葉を持ち、そしてこの言葉のあらわす世界に存在し、さらに言葉を受け取ったぼくは次に誰になるのか? そうして書いていくうちに、ひどく歪なかたちをとるようになりましたが(ところどころ、自分でも、真に受けていいものかどうかよくわからなくなるような言葉が書き付けられていると思いますが、しかしそれもまた、自分と文章所持者=語り手のあいだの距離をおきつつしかし自分で文章を書く、という問題設定のなかで出てきたものでもあるのでしたから、つまりは「冗談を真に受けて」書いていたのでした)ぼくとしては、現段階で公開できるものの中では、いちばん豊かなものになっている気がします。

 

4つめ:2月23日

最後のこの小説は、ぼくではなくhさんが書いたものです。

ぼくはhさんは明らかに普通でないものを持っていると思いますし、それを確信させられるだけの質を伴った文章群をすでにhさんは書いていますが、それらはすべて断片の集まりというのが一番ただしいようなものです。ぼくはそれらを編集したり、書くよう促したりしつつ、自分自身、hさんの文章にどれだけ強い影響を受けられるかが、ここ1,2年のぼくの一番の課題となっているのです。それに関しては、遠くない内に公開されていくだろうhさん当人の文章を読んでいただければ伝わるかと思います。

今回公開したのは、その文章群のなかの一つだったのです。