2013-12-16

街は?

1.山-森という、幅広い時間に浸透している場所の、八合目より上を切り開き、平坦な土地にしたそこに設けられる、東京にある大企業が自分の商品としての家だけを建てるための新興住宅街

2.それが、新興住宅街の端に「むかしからあるもの」として残されたままの、汚れた池に住むボルボックスたちの中に、同じものとしていくつもある。

3.ボルボックスは分裂する。ボルボックスには寄生する生き物がいる。

4.経済がボルボックスに侵入する。

おとといはお風呂にお湯をはろうとして栓をしていなかったし、今日はパソコンでテレビが受信できないことに悩んでいたけれど結局ケーブルが間違えてテレビそのものにささってしまっていたというだけのことだった、このままいろんなことを間違えつづけてしぬ。

昔から言葉に関しては、「うさぎってかわいくない?」というふうに言われたのに対して、「うん、たぬきってかわいいよね」「え、なんでたぬき?」「え?ぼくうさぎって言ったけど……」みたいなことが本当に普通に日々起こる。あと、目に入ったものがそのまま口に出る。

これも昔からだけれど、「どうしてこんなことしたの?」と言われたからたくさん説明したら「いいわけするな!」と怒られる、そういうのばかりだった。今もだと思う。

本当にしっかりとした引用と本当にしっかりとした比喩はまったく同じように時間を孕み、それは言葉が本当は隠し持っているはずのものだと思う。

『未明の闘争』が、あの文体を用いながら、しかし「書いている今(≠語っている今)」を露骨に示すことが少ない。しかしないわけではない。アキちゃんが『分身』についての(語り手が書いたという)エッセーを読んだが、語り手は書いていないという事態と、末尾あたりの「友達」に関してのメタ的な語り。

 「ホッシー、前に分身のこと書いてたじゃん。」「書いてねえよ。ていうか、アキちゃん俺の書いたのなんか読むのかよ。」

「おっかしいな。じゃあ前世でこのあとに読んだってことか?」「知らねえよ。」

「おれの前世ってことは、ホッシーの前世でもあるってことなんだから、知らねえで済ますなよ。」「前世はそういうもんじゃねえよ。」

「あんまり難しく考えるなよ。じゃあ、ホッシーの分身が書いたってことか?」「今度は分身かよ。」分身のしたことだったら責任を負いかねると私は言うと、アキちゃんは「そうでもねえよ。」と言った。

「ホッシーが書いてねえのに、俺が読めるわけねえじゃんか。」

ここでの私は、過去を思い出して書いているだろう「小説から浮かび上がってくる肉体を持った書き手」によって語られる過去の私だ。メタ的な視点がそのメタ性を維持したままベタに食い込むような、というとメタという言葉の使い方が危ういが、このとき書いている私が過去を通過してあらわれている。

この回路を通じて、複数時のわたしが言葉を共有し、しかし同時に共有できない場所として死者が、共有できるはずがないのに共有してしまう場所として前世が、あらわれる。

と、ここまで来るのなら、書き手の、この原稿を書いているそのときのことをもまた書きながら思い出すところまでいくことが、さらには求められるのではないか。過去に強く憑依するにとどまらず、現在に書くことを通じて憑依することを意識し生きる。それがあの猫の一族についての描写につながりはする。

猫を書いているうちにいつのまにか時間は十数年前などではなく震災後になる。それと同時に、友達という分身が中心となって語っているような形になりはじめる。もちろんその背後には友達を見るさらに上位の視点もある。盛大な過去への憑依を迂回して現在にもどってきたとき、話者は二つに分離している。

この分離の結末から生きるとは、どういうことか。

もちろんこれは小島信夫大江健三郎のような場所に近いと思って言った。

3:37っていう時間、変な感じがする

わたしのところにも避難梯子点検がやってきた。ベランダに干していたものを全部どかされて、おじさんが「点検のために避難梯子をおろしまーす」と言うと、避難梯子がガタンと滑り落ちて、わたしのベランダの下、マンションの共同ポスト前にいる人の頭に刺さった。あれーっ、おかっしいなあ。オーケーオーケー。Led ZeppelinⅡの、HeartbreakerとLivin' Lovin' Maid <She's Just A Woman>の境目がそこから出てきた。

片一方のスリッパは、いつもぼくをびしょぬれから守ってくれる。

アウグスティヌスについての学校の授業のとき、ある生徒が急に先生に「あなたはアウグスティヌスが得たような神秘体験を経ていないのにどのようにアウグスティヌスについてを教えようとするのか?あなたの教育がこちらに悪影響を与えないと言えるのか?」と言った。

先生は、自分が哲学者ではなく哲学研究者であることを断った上で、自分に神秘体験はないが、自分のこの教育というものが無駄であるとは言えないだろうと返した。どうだか、と生徒は言った。

「小説家である自分にやって来るあれについて考えると、私の場合、それを純粋に他の条件と切り離されたものとして、頭上に舞いおりて来るインスピレーションのようにみなすことはできない。まずそれなしで小説の文章を書き進めてゆく過程が必要だ。具体的に滑走路を造ることなしでは、あれはやって来ないのである。(…)小説の草稿を、それもノート段階ではなく、ひとつの全体をめざして書き始め、書き進めてゆく時、そこに積み重なってゆく言葉こそが、現にいま書いている自分と、大きい沈黙に耳を澄まし眼を見開いている自分との間に橋をかける。私がこれまで滑走路と呼んでいたものは、むしろ橋とこそ呼ぶべきだったろう。その橋がかかった時――あれが来た時――私は小説家としてこの宇宙、世界、人間の社会に、独自の内面をそなえた個として、本当に生きている。それは自分に才能があるかどうかを確かめるよりもっと重要なことだ。それは、あるいはそのようにして書きあげた作品自体よりも、なお本質的なものの達成であるかも知れないのだから。」大江健三郎『私という小説家の作り方』