そのアウグスティヌスは、次のように書く準備をしながら、冬に降りる星空の細やかさに照らされつつ、夜中を歩いていた――こうして私は記憶と理解と意志を持っていることを私は記憶している。私が理解し記憶していることを理解している。私が意志し記憶し理解することを私は意志している。私は私の記憶と理解と意志の全体を同時に記憶している。
 十の体を左右前後に揺らしながら、ぶれの重なる程度によって、草むらを揺らし、風に冷やされるそのアウグスティヌスの姿を見たものはいなかったが、たとえいたとしても、彼の像はひとつに絞られることがなかっただろう。
 そこに着地しようとしたわけではない偶然の小蝿が、アウグスティヌスの破れた麻布から見え隠れする右のふくらはぎに触れたときにも、小蝿は十の体に感知されたりはしなかった。

 二〇二三年十一月、青木シンジは「東京蚤の市」というイベントに、日頃からいっしょに小説を書いてもいるhに連れられて行き、左の写真を買った。
 そのイベントでは、五十年前の幼稚園で被られていた赤い帽子や、ねじまがり錆びついたネジや、色の褪せて大陸の八割が白い海に沈んでしまっている地球儀などといったものだけでなく、顔のはっきり写っている海外の個人的な記念写真や、英語で書かれた住所や切手がしっかり読み取れるまま残っていて、ポストに入れたら一九七〇年の宛先にすんなり届いてしまうんじゃないかというくらいの封筒や、そういったものたちが、アンティーク雑貨として新品よりも高い値札をつけて売られてもいた。
 青木シンジはその、個人情報保護とはまったく真逆の冗談みたいな空間に、最初こそ驚いてはいたものの、すぐに、何年も前に実際に生きていた人たちの、その個人的な時間を感じさせてくれる古いデータというのなら、ネットにはいくらでも転がっているんだと、そう思いなおしてみた。
 同じ写真でも、データよりかは実物のものの方に感慨深さを覚えてしまうというのは、結局のところ、かつての時間や記憶を目の前の見知らぬ品々から勝手にあれこれ想像するしかない人間の側の問題なんだろう。端々が掠れ、染みがつき、ぼやけてしまっているこの写真を、今はもう死んでしまった人たちが持っていたのかもしれない、そんなふうにいまここで思い出すという物語が、世間には満ちあふれ、何度も繰り返されては人間の頭に習慣づけられていた。
 青木シンジがなにげなしに買ったこの写真にも、裏には筆記体で書かれたメモが残っている。

 This is my big son John.
 Taken in front of our home.

 青木シンジは家に帰ってすぐに、この写真をさらに右目のコンタクトレンズで写真に撮ると、SNSにアップした。そして、この写真を小説内に引用し、いま書いているなかで出てきた登場人物のジョニーさんとして、名づけてしまおうと考えていた。裏面の文章はもちろん引用しないまま、もしくは名前の部分だけを書き換えてしまってもいい。
 ジョニーさんはカリフォルニア州モハベ砂漠を七三式小型トラックで主人公たち二人に案内する。そういった仕事をしていると設定された彼がどこか貧相な格好をした写真の男とは似ても似つかないが、青木シンジは偶然に委ね切った生き方をすることこそが、人生設計をしっかりと組み立てて進んで行こうとする人々を、その柔軟性によって出し抜くことになるのだと信じていた。
 その生き方に応えてか、翌日になると青木シンジのiPhoneには、Johnの写真をそのままアイコンに使った非公開アカウントからのフォロー通知があった。青木シンジは、IDなどに見覚えはなかったし、そのアカウントのフォロー数フォロワー数は、ともに極端に少なかったのだが、自分のアップした写真を堂々と使っているのだから、きっと大学か会社の友人の裏アカウントだろう。彼は通勤途中の電車内で、なにげなくフォローを返した。その瞬間、
「シブヤ、シブヤ」
 と、それが隣に座るスーツ姿の男のイヤホンから聞こえた。
 違う、それは俺だった。
 青木シンジがiPhoneの音量を下げたとき、そこに生まれた音の隙間を縫うようにして、車両の隅にいた、子どもにしては頭の大きすぎる人間が、短髪だから男か、しかし短髪だと言い切る自信もすでにない。ゆっくりと立ち上がったそれは、ごく単純に像が拡大されているだけのような滑らかさで、こちらに近づくと、
「うらない、うらないましたよ、ええ。よかったですね、本当に!

 あ?」