読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

最近のワンカット(さめないゆめ)

 エビは次の日の朝にも机の上に逃げだしていたから指でつまんで水面に落とすと、くるくるとまわりながら水草に引っかかって逆さまになり、飛び出す瞬間が見たいわたしは眠りづらくなってきたけれど、カズナはそれでも帰ってこない。また失敗した! エビは空に浮かぶ風船を見た。左から右へ、濾過装置の作動音が吐き出し、いくつも同じ方向に放射状に進んで行きながらぶつかったり、ぶつからなくてもふいに破裂した風船が表面の歪んだ室内を何百メートルも飛ばし、水面のきらきらとした光をほんの少しだけもっときらきらと光らせる。それがたくさんある。だいぶコツは掴めてきた、水草のてっぺんから全身を縮めたり伸ばしたり、足を波立たせて水槽のガラス壁に跳ね返り、みんなの視線を浴びながら水面の外に出る。もう何度試したことだったかも忘れてしまった。カズナがいない時を見計らっていなくなるつもりもなかった。上の方に行けば行くほど暖かい。わたしがいるのは水色や白色の部屋着や黒い髪の毛が水の中に差し込むことでエビたちにあらわされた。

 もちろん、夜になれば電気は消えるし夢を見る。その日はたしか、街のはずれの今では埋め立てられた池の底で、飼われていたけれど大きくなりすぎたから逃がした亀やザリガニやブラックバスが泳ぐ下に沈みながら、泥や空き缶や苔や脱皮の殻といっしょに、地面をひたすら掘り進める日課をしていた。いつかはすごいものを掘り当てるとか、地球の裏側にたどりつくとかの期待はなくて、ただ毎日慣れ親しんだこの場所を掘り進めている記憶だけがあった。長い年月を積み重なってきた泥は柔らかく、どれだけその日にがんばっても、次の日になればどこをどう掘ったのか覚えていなかったし、数年後にはミキサー車が列をなしてやってきて、水を抜かれた池のくぼみに泥とは違って固まるセメントを流し込む。黄色い工業機械が鉄骨を張り巡らせ、防寒材を縫いつけ、あれだけ濁っていた水中よりもさらにいっそう暗くなる視界に閉じ込めた。池を囲うオレンジ色のフェンスの注意書きには、十年前の七月から八月にかけて行われる工事の概要が説明され、あっという間にカズナの住んでいたアパートが立てられる。わたしがそこに住みはじめるのはこのときのわたしじゃなかった。カズナは一人暮らしをして、食器もランチマットも食事のメニューもなるべく小さく少なくまとめあげる。大学を卒業し、地方に引っ越して喫茶店でわたしと一度会い、それっきり滅多なことで会ったりはせず、電車の事故でバラバラになったりもせずにきれいな人と結婚して子どもを名づけておじいさんになりカズナは死ぬ。宇宙にはたくさんの星がある。別の星ではまた別のカズナが生まれ変わってカズナとして生きていた。そこではカズナは十歳で死んでしまったからわたしとは会ったりしない。隣の星ではわたしが猫アレルギーだから仲良くなったりしない。もう一つ別の星、もう一つ別の星、と続いていくなかで真っ暗な宇宙が点々とした灯りに埋まっていく。隙間がなくなっていく。でも神様はそんなに下手じゃない、宇宙はどんどん膨張し、星は数えきれないくらいに増え、ときには宇宙船でやってきたり、望遠鏡で覗いてみたり、電波で数千年前の自分のおはようを聞いたりする。ここにいますがあなたはいますか? はい大丈夫ですありがとう! その言葉はエビのかたちをしていた。それをはっきりと聞き、わたしの言葉を翻訳して送り返した。この電波が届くには一万光年かかります。また、途中で星雲にぶつかったりするかもしれませんし、急激な温度変化でエビが死ぬかもしれませんし、はたまた道を迷ってここに帰ってきてしまうかもしれません。そのため、これから八十年間はずっとエビを発信し続けますがよろしいですか? オーケー。わたしはエビの発信が五分間は正しく続けられていることを確認すると、それからパソコンの別の画面を開いて、こちらでは相手の星の場所や色、気温、どれくらいの周期で夏がきて、どれくらいの周期で金環日食が空を飛ぶか、どれくらいの数の恐竜に毛が生えていたか、どれくらい正確にカエルが雨を降らせられるか、計算をはじめた。これにも数十年かかるけれど、そんなことは日常茶飯事だった。エビはその間も発信され続け、先に発信されたエビの何匹かは星にたどりつく。空からやってきたエビは……