2015-10-03

朝、5時ごろに起きて、バイトに行くhさんを駅まで送る。ぼくらの話し声に、前を歩いていたおじいさんがびっくりして振り向く。そのおじいさんに、いつもねこをたくさん飼っていて貰い手をさがしている、お店なのか倉庫なのかよくわからないけれどガラスのむこうにねこのケースとたくさんの段ボール箱が見えるその部屋の前に停めてある車にもたれかかり、杖をつきながら、あたりに集まってくるはとをのんびり見ているおじいさんが、お昼によく見かけるのとおなじ格好で立っていて、ぼくらの声におどろいたおじいさんに「よう、あさごはん食べたらドライブしようや」と声をかけた。

はとが朝はよく飛んでいる。昼間はあまり飛ばない。家の塀にばかでかいカラスがいて、じっとしていた。近寄って写真をとろうとすると、「だめだめ、襲われるよ!」とhさんに叱られる。「目を見たら、カラスは急所をついてくるんだよ、教わらなかったの?」と言われる。そんなこと聞いたことない。田舎にはカラスがあまりいない。友だちの実家に白いカラスが飼われている。

公園でみんながラジオ体操をしている。「第3じゃない?」「いや、第2だよ。いつもぼく、家でやってたじゃない、これ!」「ああ、むかしわたしに言われて?」「そう」。ランニングをしていたひとが公園の外縁で急に立ち止まってラジオ体操をはじめていた。

hさんを駅に送ってまた家まで引き返す途中にまた公園によった。すごく光が綺麗ななかでみんなさわやかに運動をしている。おじいさんたちが掃除をしている。横を見ると急にはとの群れがぶわっとぼくめがけて飛んできて、ぼくを通り過ぎていった。

今日は夕方から相模大野で『グランギニョル未来』の爆音上映に行こうと思っていたけれど予約できていなかったから当日券を買わないといけない、発売は上映開始の1時間前だというから14時に家を出ようと思っていたら、Twitterでなにげなく検索すると12時から当日券を売るという、すこし迷ったあと、あわてて身支度して家をでる。いま書いているものの関係で、どうしても今日、見ておきたかった。

電車のなかで、あさ読んでいたもののつづきを読む。阿部嘉昭・貞久秀紀「減喩と明示法から見えてくるもの」(『現代詩手帖』2015年10月号)。これは本当におもしろかった。

《江代詩には言語学でいうシフター、いわゆる代名詞と「こそあど」ことばがほとんどない。論脈を示す接続詞もない。だからすべての公文が一階的にあらわれている感じがあるんだけど、けれどもそれらは江代さんの想起のなかではつながっているんですね。〔…〕今朝、梢に鳥がいたことと昔の自分に起こったことが同じレベルにある。江代さんが尊重しているのは想起のなかの順番でしょう。》

《減少も生成の一種です。それを知覚する自分自身はたしかに存在している。この生成と存在の同時性がポイントでしょうか。

 貞久さんも『雲の行方』で素晴らしいフレーズを書かれていました。《今あそこにすでに浮いているちぎれ雲が、今あそこに現れてくる。》こういう知覚は、私とは何かという問題にも関わってくる。》

《暗喩は謎をつくるから、阿部さんの言葉で言うと肉の塊みたいなものをつくるので、暗喩詩の場合は「「私をほぐせ」という命法が権力的に作動する」。暗喩詩を与えられた読者は、それをほぐそうとがんばる、そのとき、作品と読者には権力者と非権力者、支配者と被支配者という権力構造が発生する。そういうのをこわそうとして、阿部さんは暗喩から換喩へという、新しい人間関係のコミュニケーションを開いていこうとしているのかなと思ったのですが。》

《暗喩の原理が類似であるとして、遠い類似もあるんじゃないか。作者が類似していると思っているだけで、外見には類似が感じられないほど遠い二物。そうであれば、換喩の原理である隣接にも遠い隣接がありうる。本当の味読に値する詩には細かい遠近、その多元的分布が織物のように内在しているんですよね。テキストの持っているテキスト性は、一定のトーンではない。そういうことが読者を救う、多元性をもった構造であるということが。》(この箇所とか、ぼくがなんとか「語り」の視点からやろうとしていたことを補ってもらえるような指摘で、うれしい)

《言葉はそもそも欠落を抱えている。しかも、言葉が抱えている欠落とは、その言葉自身への喩である――動きである――ということでしょうか。》

《散歩をきっかけにしている詩って換喩的になる。なぜかと言うと、時空間のなかにすでに間隙があって、そこを身体としか呼べない詩的主体が移動するためです。ぼくが言う減喩では疎の状態の事物がゲシュタルト崩壊を起こす。このことが言語の問題とそのまま直結して、詩と哲学の拮抗が起こるんじゃないでしょうか。ただし減喩詩はその純粋形があったとしたら熾烈すぎる。詩は俳句ではないのです。それで多元的組成として、詩に減喩部分と換喩部分の分布が起きるんじゃないかな。》(このあたりは、詩を小説として読む、という姿勢に近いんじゃないか。というか、詩と小説の区別がいよいよ量いがいではつかなくなってくるものなんじゃないか。少なくともぼくはそう思ってやっているけれど、どうなんだろう。もちろん、いざ作るとなると論理がぜんぜん違うのはとうぜんとして……)

《詩行を書いていった場合には、行の加算は構造化を経由している。その書かれてゆくことのなかで、時間も空間も空隙をつくりながら加算されている。江代さんの作品もその空隙がつよい。だから一読して理解がしにくくなるけれども、結局、空隙をはらんでいる構造自体は明示されている。改行されて書かれている詩の構造の原形そのものを読んでいるだけで、作者の事情は関係ない。》

《挨拶には二面性があって、こんにちは、という単純な軽さがありつつも、そこには自我への執着といったものが排除されているから他者が参入しうる深さを持ちうる。深さに開かれた挨拶性というのか。》

《深さを持った挨拶性ということで言うと、挨拶の対象は、世界ということでいいのではないでしょうか。世界が言葉でできているとすると、その構造に向けての挨拶。》

《詩では行立てで空隙が構造化されますが、俳句のように五七五の要素で分解されたかたちではっきりする場合もある。けれども言語が、本来的に持っている原初的な力を詩で書こうとすると、すでにして語間単位にそういう空隙が孕まれるのではないか。》

《明示法の場合は単純で、自己再帰性が大きく働いています。AはAであるという、AのA自身に対する空隙がポイントです。》

再帰性は、発語の基本ですよね。〔…〕詩の読者は、作者そのものではなく、詩そのものでもなく、詩と作者の再帰的関係を受け取る。だから詩の読者は、自分で詩を書くようにうながされる。だから詩の読者は、自分で詩を書くようにうながされる。それをはばむものがあるとすると独善性。固有性と独善性は、全然違う。》(このあたり、特にだいじなものとして読んだ。「AはAである」→「私は私である」→「作者は作者である」のなかの再帰性とずれ。「私が私であること」を基点とした、複数人での制作・思考の問題に、かぎりなく近づく。)

《詩では、視覚的なイメージが言われすぎる気がします。たとえば江代さんの詩には、視像化させない、ことばのならびの抵抗圧がある。》(これは、大江論でも書いた。言語表現においてそうとう肝心なものだと思う。)

《視像としてはその色調やら線やらが目に見えているのにすぎないのでそこ止まりなんだけれども、空隙ゆえにそこに何かを知覚しようとする働きが促されて、そこに何かを知覚しようとする働きが促されて、視覚ではないもの、つまり聴覚が動員されるというような。目を閉じて絵に対して耳を傾けるようにしてまた目を開けて、むしろ今度は、耳を傾けることのおまけとして目が開いているというような……。》(ここはもう荒川修作に関係して、いま書いているもので考えるところ。)

引用しているとひどくたくさん引用してしまった。こんなに書いていると長続きしない。

相模大野の会場につくと、当日券を買えた。せっかくなので、さきに上映する『地獄の黙示録』も見た。高校生ぶりか、今回は劇場公開版で、すこし短い。まとまりがいい気がする。The Doors『The End』を爆音で聞けただけで満足しそうになる。

次の上映まで公園でパンを食べて待つ。ねこと目があう。相模大野は駅もきれいだし公園も大きいし公民館も大きいから感心する。そのあと夜にそのことをhさんに言うと、「いなかだから」と言われた。

グランギニョル未来』。細かくの分析はしないけれど、演者が自分の演じる対象をなんとか手探りする感覚が、身ぶりごとのほつれ(単一の物語に回収しえないぶれ)を見せ、しかしそこに演じている体はひとつである、ということがもたらす強制的な多重性。ちりばめられた要素のいくつかは(たぶんこれは脚本段階から指定されているものだ)あんまり機能しきれていないようなものもあったように思えた。映像でなく実際に見たときの、感覚的なおそろしさは、たぶんすごかったんじゃないかと思う。

終わり、そのあと大学の図書館。iPhoneの充電器をもってきたぞと自慢気にとりだしてコンセントに挿すと、それがMacBookAirのものだっと気づきびっくりする。ブルトンデュシャン論と西川アサキさんの細田守論をコピー。『グランギニョル未来』の、新潮に掲載された脚本を確認しようと思っていたのにそれを含む前後数号だけ見当たらない。他、小林秀雄岡潔『人間の建設』、ミゲル・アンヘル・アストゥリアスグアテマラ伝説集』をぱらぱらめくり読む。

帰り道にかんぜんにiPhoneの電源切れる。電車のなかとかでずっと小説を書いていたからだ、電源が切れたあとも思いついたものがたくさんあるから暗い道のはじで今日もらったちらしの裏にペンで殴り書く。そういうメモばかりの集まりで書いていかないといつまでもひとつにまとまらない。いまだにこの、現時点で2万字くらいのものがまとまるのかどうかわからない(というか、2万字!、そんなに書くつもりなんてまったくなかった)。

2015-09-08

家の外で、いしやーきいもー、みたいに、車がおばあさんの声で「あーべーじーじゃーべー」って何度も鳴らしながらゆっくりねり走っていた。
今日は朝からバスに乗り、松山市駅のあたりを歩くことに決めていた。それが昼過ぎになってしまった。特に困ることなんてない、なるべく家のまわりを歩いて写真を撮っておきたい、特に土砂崩れの写真がいまはほしい。けれど明日は雨だ。雨でも傘をさせば写真は撮れるとふんだ。
バスはむかしよく乗っていたものだから、乗ってすぐになるべくいろんなものを思い出すようにする。おじいさんとおばあさんが遅れてバスに乗ったり、台車を車内にのせてくれといったりするのに運転手のひとはすこし冷たい。田舎の運転手のひとがみんな最高に優しいわけじゃないのはもちろんそうなんだろう。東京でも、それなりに優しいこともあるんだから。
マドリン・ギンズ『ヘレン・ケラーまたは荒川修作』を読みながら松山市駅につくと高島屋にすぐに行って、寄るつもりもないのに紀伊国屋に行ってしまった。案の定、文芸誌をながめてしまい、すこしつかれる。私小説への注目と検討は、よりはやく、より重く、進める必要がある。松山に東急ハンズができると言って、いつも見ていた高島屋のなかのおもちゃやさんとDVD屋さんがなくなっていたのはすこしさみしい。
そのままhさんへのお土産を探しつつも、あまりいいものもなく、ジュンク堂にまで行ってしまう。本はいなかでも質のいいものが見つかる場所があるというのはいなかに住んでる子どもにとってどれだけいいか! ネットがあると言ってもまずは脈略もなくとうとつによいものに接続する必要がある十代半ば、まわりに示唆の役割を果たしたがる大人がいない限りはそういう場に行ってぐうぜん手に取る本をたよりに頭の地図を広げていくしかない。売れ行きのいいものしか置いてくれない地方本屋とは別に、いくらチェーン店とはいえジュンク堂がどんとひとつできてくれたときにはどれだけうれしかったか。その建物には以前は紀伊国屋が入っていた。その品揃えはかなり微妙だった、紀伊国屋高島屋のなかに移転した。紀伊国屋ができるまえの場所にはTSUTAYAがあってぼくはそこで13歳のころにスターウォーズのDVDボックスを買って何度も見た。
夏葉社のひとの小さなフェアがやっていてすこしびっくりした。夏葉社のひとは松山が好きで大学のころなんども行ってた、坊ちゃん書房に行って道後温泉に入って坊ちゃん団子をたらふく食べた、とジュンク堂松山店のフリーペーパーに(かんたんな両面刷りのコピー用紙だけれど)書いてあった。坊ちゃん坊ちゃんばっかりで笑ってしまう。いまこれを書いてるのは商店街のなかのベンチだけれど、すぐ目の前に坊ちゃん書房があるはずの場所がある、ぜんぜん違うお店が入っている。となりはパン屋だけれどその二階にも古本屋があったがぼくが高校生か中学生のときにつぶれた。そこで大江健三郎のレインツリーを買ったり純粋理性批判のいまはもう売られてない訳を買ったりしていたからなくなったときはとてもつらかった。坊ちゃん書房にもなんども行ったけれど坊ちゃん書房ではあまりものを買うというよりは、ほとんどひとの通れないくらい本が山積みになっているお店のなかで、古文書みたいな本を手にとって遊んでいた。むかしは中学校帰りとかは手荷物が多くてなかなか店内に入っていけなかったけれどそれでもそっと一歩ずつ歩き、別のお客さんと出くわすとどちらかが後ろに下がって道を開ける古本屋だった。それがなくなったというとあれだけの本はどこにいっただろう。まさかべつの古本屋が引き継げるような土地じゃない。他に古本屋なんてほとんどないんだから、どこにいくだろう。夏葉社の本が並んでるなかでやっぱりなぜか小島信夫を手にとって軽く読んで(そうだ、そうだ)と思い、(確かに文章はこうして書かれていくべきだろう)と考えている。とりあえずは、そういう気持ちに行き着くのはだいじだった。いま書いている(というより、作っている)ものも、ある程度の対話を、組み込む必要があるから、対話というと、大江もそうか、二人組……
信じられないくらい甘いにおいのするメロンパン屋さんがあった。日本で二番目においしい、とかなんとかとかが、店名についていた。そういうと信じられるんだろうか。むかし、あんまりにも古くてつぶてしまった電気屋さんのビルのところに、マンションがたとうとしていた。いなかでは太った男のひとと女のひとが並んで座って無表情で携帯を見ていることがあるけれどなんでこうもなんども見るんだろう。どうでもいいこと。
むかしなんども通っていたシネマルナティックという映画館の前まで行って、見上げて、離れた。田舎にいても本は質のいいものが手に入ったり網羅的に見て偶然出会うということがしやすいけれど、映画は難しい。演劇のほうがもっと難しい。映画はBSとかでがんばって見ていた、むかしネットで、あいつはいなかなのにアンゲロプロスとか見てるから文化資本?の高い家なんだとか言われたことがあったのをいまも思い出して笑ってしまう。シネマルナティックはシネマルナティックを守る会が守っているらしいからたぶん消えないから安心した。いつもお客はひとりかふたりしかいなかった。
なぜかゲームセンターに行って、きちんとバンバンうつようなシューティングゲームを少しやった。つかれた。CD屋さんにも行った。まだつぶれてなかった。本屋に行くとそこはつぶれて壊している途中だったけれどよく見ると近くの、むかしは服屋さんだったのがつぶれて、耐震構造がダメだったから新しい店舗も入らずに、商店街の入り口なのにほとんど廃墟みたいになってた(外観はまだ綺麗だったけれど)建物が、一から建て直して、上の階がホテルになっている建物になっていた。その二階に(二階までしかない)つぶれた本屋がきれいになってはいっていた。東京でよくあるおしゃれ本屋。雑貨とかが売ってたりする。品揃えも哲学とかあれこれ売れなさそうなものをきちんといくつかは置いててすこしよい気持ちになった。おしゃれ本屋の横におしゃれ喫茶。東京となにもかわらない。おばさんたちがエスカレーターでのぼってきて「あれ?二階まで?これだけしかないの?」と言っていた。
いつのまにかおしゃれになっていたから何年か前に驚いていた松山城下を歩いていると、むかし通っていた塾がなくなっていた。いや、一本路地を間違えていて、本当はふつうにもとどうりあった。そのちかくの古本屋もなにもかわらずにあった。この店はビニールシートみたいなもので店先が覆われていて、天井も高く入りづらい。愛媛堂、だなんて、なかなかつけられない名前。中学受験のときに合格祈願でみんなでかけのぼった神社の階段もあった、ぼくは滑ってころんだからみんなで笑った。そのころはもう塾ではいじめはなくなっていた時期だと思う。
入ったことはないけれどいつも外から店内を覗いていたインドカレー屋さんがからあげ屋さんになっていた。配色がけばけばしい。亀の親子が遊んでいる絵のある駄菓子屋さんはかわらずあった、パンダのわたがし機械もかわらずあった。
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いつも学校から自転車で行き来していた裏路地を歩くとおなじ学校の制服を着た女の子が立ちこぎしていた。ぼくはここで何度も写真を撮った、学校にフィルムカメラを持ち込んでいた。
いま、とうとつに、この近所で、むかしトト?が大当たりして5億くらいをもらったサッカー屋さんがすぐに店を辞めたことを思い出した。いや、お店の人があたったというのは変だからお客さんが当たったんだったか。むかしお父さんが働いていた建物が、いまは廃墟に見える。ほとんど廃墟だ、なぜか農業研究所なんて名前がかけられていて、あとから聞いたらそこで働いていたのは一時的なものだったらしい。ぼくはお父さんの職場と言ったらここだ、お父さんお母さんの年齢と言ったら36歳だというのと同じだ。その建物のよこのスペースに、なぜか移動動物園がきたことがあって、いつも砥部にある動物園の小さい青い車に動物がいくらか乗ってやってきた。ぼくは建物のなかでポラロイドカメラでなにかを撮影した。その写真がまだ残っていたころ、それをあとから見て思い出した(中学生ころに)。
そのまま道後に歩いて行った。ずいぶん歩いてびっくりする。人力車のお兄さんが丸い顔でにこにこしている。道後の商店街はずいぶんきれいなかんじになってよい、観光客の人たちがたくさんいる。新しいおしゃれな感じのお店と、むかしからどこにでもあるお土産やさんが、混ざってたっている。道後温泉は行列になっていた。ぐるっとまわって時計台の前にもどった。おみやげをかった。子規記念博物館に行くと休みだったから公園を歩いた。犬の散歩をしている人たちが何人もいた。子どもたちがサッカーをしていた。ゴールを外した練習中の子どもが頭をかかえた。野球をしていた中学生くらいの男の子たちがけっこうばかばか遠くにまで打っていた。展望台に登ろうとしたらすごくうすぐらい山道みたいになって、鳥居まであって、なぜか途中に神社があった。情熱!みたいなTシャツを着た高校生の男の子が石の階段をなんどものぼりおりしていた。いちばんうえまでいくと展望台が誰もいなくてペットボトルのふただけ机のうえに置いてあるそのかんじ、そらがぽっかりぜんぶ見えてしまう。雲が何層にも分かれた速度で行き来していて、一方が一方に食い込もうとしているように見えるけど見えるだけのはず、鳥がものすごく高く飛んで雲のほうまでいくけれどそれも高さはぜんぜん違うだろう。空はこんなにぽっかり広がるか。降りて道沿いの、お堀沿いの(この公園は、むかしはお城で、そのあと動物園だった)ベンチに座り、正面にある夕日を見ると、横向きになったマンションの、階段の部分が均等に穴をあけていて、その穴から夕日が抜けていた。知らない人の音楽をすこし流してきいた。そのまま18時になった。


スーパーでワイン売り場にいぬのうんちのにおいの広告が貼ってあった。f:id:hiroki_yamamoto:20150909185930j:image

2015-07-30

きのう、hさんになんとなく「ターミネーター2を見てターミネータージェニシスをみにいこう」と言うと、「いやだ」「めんどくさい」といつものように返ってきたけれど、何度か言ってると、「だって、ターミネーターってなに」「アイルビーバックってやつ?ロボット?」と言ってて、ターミネーターがなんなのかわかってなかった。
hさんは自分の知らないものはめんどくさがって触れたくない、映画だってもともと見なくて、ぼくが話してるうちに見るようになった(今日の夜にも、「あなたはわたしが映画を見るようにさせてえらい」と言ってた。がんばりがいがある)。でも、最初の印象が悪いとそこから先は絶対に見てくれなくなるから、最初が肝心だ。ターミネーター1でかよわい女の子だった人が2でマッチョになって精神病院に入れられてる話、というと、みたいみたい!と言ってくれたので、ふたりで見ることにした。
ぼくはターミネーター2はもう子どものころに何百回見たか、1は一回しか見てなくて3は劇場で見た。4はDVDで一回だけ見た。でももうターミネーター2なんてどれだけのあいだ見てないだろう。ネットで映画を配信してるサービスをいろいろ調べて無料体験のあるところで1日だけ登録しちゃおうといって、いろいろ手続きをしてるとhさんが「まだー、あきたー」といって、まってまって、もうすこしだから、とあせる。テレビに映すのはあきらめてMacの画面で見ることにした。
hさんはすごい楽しそうに見ていてとてもよかった。ぼくはhさんと見ているうち「ああ、この映画は男の子とターミネーターの関係が大事なんだなあ」と今更気づけたようでそれもよかった。映画が終わったあとターミネーター1を軽く見て、それからジェニシスの予告編とかをちらちら見て、さああした見に行こう、という姿勢を整えていたけどhさんは見に行きたくないというからなかなかたいへん。その日は録画機にはいってた『水曜どうでしょう』を見た(高知までバイクで行くやつ、実家にあった録画機を東京に送ってもらったから、お父さんお母さんが録画したものがたくさん入ってて、なんとなくそれを見た)。hさんは途中で寝たから再生をやめて歯磨きをした。
翌日、ぼくはしなくちゃいけないことがあったからパソコンに向かってたけれどその横でhさんは水曜どうでしょうのつづきを見ていたらどんどん見てしまって、ぼくも見ちゃって、10話くらい見た。田舎の風景がたくさんうつってhさんが喜んでいた。ぼくもこういう風景ばかり見て生きていた。
やっぱりジェニシス観に行こう、と言うと、ようやくOKが出て、ネットで予約した。14時になるとhさんが寝て、ぼくはようやく作業をきちんとやって、15時に起こしたら遅い、と怒られつつ、家を出た。バス停に向かう途中で、あなたはわたしのことセンスがいいとかいうけれどそういう問題じゃなくてそもそもあなたは自分の感覚がにぶすぎ、ふつう何年も生きてたら自分の体のことくらいわかるけれどあなたはいつまでもあれー肩が痛いなあ変だなあとか言ってて子どもみたい、ばか、と言われて、なるほど、と思う。バスのなかで変な音がしたからぼくがなに?なに?と言うとhさんがシッ、前の人、と言った。
映画館は歌舞伎町にできたあたらしいところ、古いエヴァの映画館をつぶしてできてしまったところ、歌舞伎町はくさいしこわい。ゴジラがテレビで言ってたとおりにいた。
映画館に入ると安っぽい壁にIMAXとかなんとかロゴがたくさん貼りつけてあって、安っぽいけどかっこいい、とさわいだ。エスカレーターでのぼる途中に、帰ってるおじいさんおばあさんとすれちがい、おじいさんおばあさんが映画を見に来るのはいいね、とhさんがいった。田舎はむりだよね、車に乗らないと映画館に行けないもの。
ジェニシスは4Dもあったけれどこわいから3Dにした。家にtohoシネマズのメガネがひとつあって、でもなにを見てもらったやつかわからなくてずっと悩んでたけど、しばらくあとで、ああ、ゾンビのやつだ、と思い出した。なんとかゼット。渋谷でみた。
hさんがなにか買いたいというからキャラメルポップコーンとジンジャーエールを買った。プレミアムキャラメルポップコーンがあって、ふたりで惹かれたけれど、買わなかった。買うときに、小銭をうまく出さなかったら、hさんが、わたしはお財布がとても小さいから小銭を出すのがすごくうまい、といった。たしかにhさんのお財布は小学生が持つやつみたいでほんとうに小さい。それ以外はお給料袋にたくさんの札束がばさばさ入っている。
買ったあとはぼくはトイレに行った。hさんはすぐにキャラメルポップコーンを食べていた。トイレではずっと髪の毛をいじってる男の子がいた。もどってくると大きな画面にミッションインポッシブルの予告編がやっていた。さいきんはジュラシックパークもそうだしこのターミネーターもそうだし、むかしのがたくさんやってるね。いつ入場すればいいのかわからなくて、入場のところにいる人に話しかけて聞いたら、かしこい高校生みたいな男の子が、たいへんもうしわけありません、入場は10分前からとなっております、と言った。かしこい高校生みたいな人に言われた、とhさんに言うと、家では怒ってそう、みたいなことをぼくかhさんかどっちかが言った。
入場すると、さっきからずっといた、片足のない車椅子の人がいっしょに入ってきた。席に座ると前の座席のところに傘立てがあって、hさんが感激した。ポップコーンをたくさん食べながら待ってると、上映までの間に、と言って、『野のなななのか』でへんてこなしゃべりかたをしていた女の人が、同じしゃべりかたで映像に出てきて、最近の映画ニュースを案内していた。hさんが、わかった、プレミアムキャラメルポップコーンはこの茶色がたくさんついてるやつだけを集めたやつなんだ、と言って、キャラメルポップコーンのなかでもたっぷりキャラメルがかかったものをつまんでいった。
hさんがトイレに行ってるうちに4DのCMが流れた。リリコさんが変な顔になるやつ。愛媛ではぼくがいなくなってから急に映画に関して発展がめざましく、IMAXも4Dも四国で一番に導入してるらしくて、うらやましかった。
3Dの予告編がはじまったら、hさんがへんてこに手をバタバタしながらめがねをかけて、こっちを向いたらぼくから見て右目が真っ黒に見えて、キャプテンハーロックみたいになってた。そのことを伝えたかったけれど映画中にしゃべるとまわりに悪いからだまっていた。キャプテンハーロックは3回くらい起こった。
ターミネータージェニシスは、リメイクによって、作品外の事象が作品内の因果法則に強引に入り込み、極端な物語の圧縮度と、人物の同一性の崩れをもたらしてしまうってところで、エヴァQを思い出した(エヴァの方は、アニメーションということもあって、シーンの連なりが作る空間認識がおかしくなってしまい、ほとんどデイヴィッド・リンチみたいだなあと最初に見たときに思ったくらいだったけれど)。
作品の外が、制作過程でぐにゅっと作品内に入り込む。大江さんの小説もみんなそう。メタ構造とはぜんぜん違う階層性がある。翌日、hさんが、古事記日本書紀の関係だよ、と言っていて、それはとてもおもしろかった。いちどきちんと考えてみないといけない。
映画そのものとしてはなんだかすごく楽しかった。ターミネーター2を見たときに思った、男の子とターミネーターのペアのおもしろさが大事、というのを、ジェニシスの制作者たちもずいぶんわかってて、そういう関係をなるべく大事にしさえすればほかはけっこう壊してみても物語の破綻には陥らないっていう自信があるような感じがした。前日の夕方に予告編を見たとき、ジョンコナーがターミネーターになってたよ、というところで、YouTubeのコメントに、「砂鉄ターミネーター」って書かれてるのを見つけて、ふたりでばかみたいに笑ってたから、ジョンコナーがでてきて砂みたいになったらふたりで映画館のなかで顔をあわせて3Dメガネごしににやにやした。そのあともへんてこで笑えるところはふたりで顔を見合わせてにやにやしていた。
クレジットになるとまわりのお客が一気に席を立ってびっくりした。すこししてからよくある続編匂わせみたいなワンシーンが入ったのも、みんな見てない。歌舞伎町だからかもしれない。ぼくらはずっと座ってると、hさんがポップコーンの箱を抱えて(まだ残ってる)、顔をつっこんでにおいをかいで、それからひとつぶずつ観察しながら食べはじめた。あとから聞いたら、茶色いのだけ食べてたらしかった。ぼくも食べた。しっけててまずくなっちゃった、と言われて、そのときはうんって言ったけれど、あとで「あなたに言われるまで湿気てるなんて思わなかった」と言ったら、「ほらー」と言われた。たしかにどんかん。
明るくなって、席を立ちながら、みんなクレジットの段階ですぐに席を立ったね、と言ったら、トイレに行きたかったんでしょ、とhさんが言った。ぼくも開始20分でトイレに行きたくなってた。でもぼくの場合のはよくあることだから(トイレに行きたくなったらどうしよう、と思ったらトイレに行きたくなっちゃう)、あんまり関係ない。hさんは、寒かったから、という。
ひとまずいろいろ満足して映画館を出て、せっかく新宿に来たんだから、と、Tシャツ屋さんに行った。店の前で、男の子がうちわを地面にたたきつけて、がたいのいいおじいさんがわーうぉーとよろこんでいた。
ぼくは『エミールくんがんばる』のTシャツと、胸に花畑が塗ってあるTシャツを買った。レジの前で並んでる人が外国の言葉を喋っていた。すると、さっき、店の前にいた男の子が店に入ってきて、ぼくらの前の外国の人に抱きついた。店の外から、おじいさんがこっちを見ている。外国の人は男の子を抱えると、レジの横にあったトーマスのポストカードをとって、くれ、みたいなことを言った。もういちまい、もういちまい、みたいなことを言って、店員の人はなにも言わなかったから、外国のひとは男の子にトーマスのポストカードを3枚わたした。そのままどこかへ行った。
そのあとぼくらは小田急百貨店の地下でいつものように安くなったごはんを買って、今日はワッフルも買って(ぼくは期間限定のへんてこなものふたつ、hさんはメーブルとプレーンっていう、すごくふつうなものふたつ)、バス停に向かってたら、在日排除!みたいな演説がへいぜんとやっていて、ほら、ふつうの人っぽいでしょう、こういう世の中なんだね、とhさんに言いながら、全身が煮えくりかえった。さいきん、すぐに怒りたくなってしまう。むかしは、怒らないことが自慢だったのに。笑い顔でひどいことを言ってしまう。
バスのなかでhさんとまたターミネーターの話をして、いろいろ映画についての大事な話ができて、家に帰ったら水曜どうでしょうをぜんぶみて、ねむった。

ポスター

 図書館から帰るときにぼくがツイートしていた。「イヤホンから聞こえるMarquee Moonと、直角に欠けた月とは、同じ手ざわりのなさだね」。
 そうか。と、忘れたころに右の言葉を見た今のぼくが思い出したのは、入れ物のこわさだった。
 散らばるシャープペンシルと消しごむとものさしが、ふでばこにおさまって持ち運べ、ふでばこと水筒とメガネケースが、かばんに入れられて一緒くたに振られること。ばらばらのものたちが、持ち運べるようになって変だな、と最初に思ったのは、めがねをはじめて買わなくちゃいけなくなった店内で、かばんのなかを外から押して確かめてみたときだった。
 その瞬間、ぼくはもうひとつのこわさとつながった。上京して帰省する人が、飛行機ではそこまででもないけれど、深夜バスに乗って八重洲口から松山駅、箱におさまってしばらくすれば、その人の位置が変わり、記憶が風景に掏られてしまう。つまり、東京にいる自分の記憶の思い出し方と、子どものころを過ごした松山にいる幼い自分の記憶の思い出し方が、まったく別であるということ、そのそれぞれの記憶のありようが、入れ物に乗って移動することだけで置き換わる(折り重なる)というのが、こわい。
 この、ふたつの入れ物へのこわさを、ぼくはそこにあるけれど由来ない音、そこにあるけれど由来ない光と、等しいこわさとしてあると考えていると、いま、急にわかったらしい。こわい入れ物は、私が私であることの裏づけになっている、という意味で、イヤホンから流れる音や夜の月の光をおさめ、持ち運べる手軽さにしている入れ物があるのかもしれない。どういうかたちだろう。持ち運ぶのは、誰だろう。
 これを距離の問題として捉えてみたいという。月までの距離、音までの距離、東京から松山までの距離。移動と知覚とまとまり。コップに入ったコーヒーをこぼして、カーペットに染み込んだのが、水だけ蒸発してもとにもどせない。コップにあるものを飲むこの体が持つまとまりと時間。ひどい折りたたみ……
 こわい話が得意だったぼくは、十一歳のころ、小学校で自然の家に泊まったことがあったはず。先生が、窓から見える遠くの海沿いの道を指さして、あそこはいっちゃいけないんだ、大変なものが出る、とみんなを脅していた。ぼくはひとしきり自分の知っているこわい話を班の人たちにしてから、夜の道を歩いた。
 誰なのか思い出せないけれど、空になったヤクルトの容器を持って、うしろから友だちが追いかけてきた。昼間、急な大雨が降ったせいで(あのときの雷を、雷のなるたびに思い出す)、においは湿気た山のくうきだった。先生が、外から帰ってきた人たちを数えている。雨のなか、頂上のあたりにある工事現場まで歩いた山が、すごく大きく見える。海に向かって、ヤクルトの容器を投げた。風が吹いて、音がなにもしなくなったまま、風も雨もなくなって、ものすごい勢いで走ってきた。